【11月映画ランキングTOP10】1位の『映画版 変な家』に加え、『あのコはだぁれ?』などホラーが上位
新作映画『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』に合わせ、前作も見放題でランクアップ
Xにて映画紹介などしているゆいちむが、胃酸過多になりつつも数回レンタルしてしまった魅力と作品への想いを綴ります。
強烈なキャッチコピーが印象的な短編映画『うまれる』。
皆さんはどのような内容を想像するだろうか。
昨今、復讐譚といえば『ジョン・ウィック(2014年/アメリカ・カナダ・中国)』をはじめとする爽快でスタイリッシュなアクション映画のイメージが一般的だろう。
しかし、今も昔も多くの映画ファンを魅了するリベンジムービーは多様性に富んだ懐の深いジャンルであり、娯楽として消費できない胃の痛むような作品も多く存在する。
これまでアジア圏では『人魚伝説(1984年/日本)』や『ビー・デビル(2010年/韓国)』など女性の受難をベースとした陰惨な復讐譚が製作されてきたが、本作もそこへ名を連ねる誉れ高い厭映画と言えるだろう。
僅か33分という短編でありながら、何が我々の心に強く響き爪痕を残したのか。
その痕跡を辿ってみたいと思う。
小学生の娘を転落事故で亡くしたシングルマザーの安川良子。
亡くなった娘の裕美は天然パーマを理由にいじめに遭っていたが、学校側はその事実を否定。転落死についても単なる事故として処理されてしまう。
良子はこの事故の経緯に疑念を抱いているものの証拠が無いまま巨大な喪失の前に立ち尽くすのみで、捌け口の無い怒りと後悔の念に押し潰される一歩手前だ。
しかし、ひょんなことから驚愕の真実を知ってしまう。
「裕美ちゃん、跳べって言ったら跳んだんだって」
やり場の無かった感情の矛先を得たこの時から、彼女は復讐心と怒りに感情を支配され、理性を失ってしまったのだと思う。
哀しき怪物の誕生、あるいは一人の人間が壊れた瞬間に思わず居ずまいを正されると共に、これから始まる惨劇の予感にぴりりとした緊張が走る凄まじい場面だ。
高台に整列させられる加害者らしき女子小学生たち。
良子が憎悪に導かれるままに彼女たちを恫喝すると、これまで伏せられてきた転落死に関する忌々しい真実がいとも容易く暴かれていく。
本来取るべきプロセスを無視した母親の暴挙に対して、「行き過ぎている」と批判的な見方をする方もいるだろう。
まさに彼女の振舞いは理性を失ったモンスターペアレントとして描かれているからだ。
子を失った母親というキーワードは、ヴィターリー・カネフスキー監督の『動くな、死ね、甦れ!(1989年/ソ連)』の一場面を想起させる。
89年の作品ゆえ内容に触れることを許してもらいたいのだが、この作品で子を亡くした母親は全裸で箒に跨り笑い続ける。発狂してしまったのだろう。
理不尽な喪失と対峙した時、人は壊れてしまう。
しかし、他人の命を奪うという行為がいかに罪深くとも、現実では小学生相手の恫喝行為はとても認められるものではない。
この常軌を逸した母親の暴走を通じて描かれているのは、いじめという現実的な有害事象に対する虚構からの反撃と警告とも受け取れるのではないだろうか。
本作で最も面白いと感じたのは学校における母親同士の問答である。
子供たちに対する強引な尋問が問題となり、話し合いの場が設けられる運びとなった。
ここでは極めて白々しい情報戦が繰り広げられる。
そこにあるのは醜い保身と罪の押し付け合いだけであり、失われていった命の重さは無いのである。
また、この場面でもう一つ印象的なのは、良子へと投げかけられる言葉の数々だ。
「髪の毛のこと、気付かなかったんですか?」
「結ってあげるくらい出来たでしょ?」
これらが配慮に欠けた心無い言葉である事はさて置き、実は筆者もこの母親に対して「なぜ?」と疑問を抱かずにはいられなかった。
そもそも良子はいじめの存在を認知していたこと。
その要因の一つが頭髪に関係していたこと。
更には娘なりのSOSを示す歪な絵画が示されるなど、視聴者が疑問を抱くための材料は揃っているからだ。
そして第三者である我々視聴者は、身勝手にもいつの間にか最善策を模索している。
もっと早く対応できなかったのか。
こうしてあげれば良かったんじゃないか。
しかし、彼女の絞り出した「何が分かんだよ」という一言にハッとさせられる。
皆さんはX(旧Twitter)における予期せぬ炎上を見た事があるだろうか。
当人に悪意が無くとも、ひとたび拡散されてしまえば一般人であろうとありとあらゆるご意見や批判に晒されることは避けられない。
そして、それらの多くは云わば「後出しジャンケン」の図式であり、情報の非対称性を無視した一方的な投石である場合がほとんどだ。
他人のビハインドシーンの存在を認知出来ている人は、今どれだけいるだろう。
優先席で寝ている女性も、脚を開いて座っている男性も、その人が当日に大切な家族やパートナーを亡くしている可能性は常にある。
そういった想像力を欠いた、生きづらさの象徴とも言えるSNS時代のウィークポイントを見ているように錯覚させられるのである。
劇中ではこの母親に対する「なぜ」は解消されずに、視聴者と作品との間には情報の非対称性が残される。
しかし、それによって映画の地平が広がっているのは確かであろう。
親同士での議論は丸く収まることは無く、動脈から景気良く噴き出す鮮血を合図に教室は阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌する。
彼女はひたすら刺し、殺し、やがてその荒い息遣いは過去の記憶と重なってゆく。
今まさに復讐を遂げる良子の脳裏に映るのは、愛する裕美を産んだ出産の場面。
すべてを悟ったように、殺戮の手は止まってしまう。
何より許せなかったのは、彼女自身だったのではないか。
そして目の前に伏している女性もまた、自分と同じように母親としての立場があるのだ。
殺人衝動と産みの苦しみが呼応してゆく中で、すべてを承知したのかもしれない。
自身を正当化するものが崩れ去ってしまったように見えるこの場面の悲哀さといったら筆舌に尽くしがたいものがある。
誰のためのものか分からない復讐は、こうして幕を閉じる。
そこにカタルシスなど無く、死の充満した学び舎にはただ侘しさだけが残る。
この母親を狂わせ、怪物にしてしまったのは「後悔」でありその根底にあるのは「愛情」だ。
「あの時こうしていれば」
人生は選択の連続であり、しばしば後悔が付きまとう。
それが愛する人の生死に関係するものであれば、やるせなさに心が蝕まれるであろうことは想像に難くない。
では、何が良子を救えたのだろうか。
何も取り戻す事のできない復讐でも、死の淵でしか実現しなかった謝罪でも無い。
そう信じたいが、答えは見つからないままだ。
理性を殺してしまうような黒々とした醜い感情が渾然一体となり、単なる勧善懲悪に終始しない人間的な奥行きがあるからこそ、胸を抉られるものがあったと思う。
いじめで我が子を失った悲しみは何ものにも代えがたいだろう。
しかし、愛ゆえの復讐は許されるのだろうか。
愛は盲目とはよく言うが、この愛情の副産物ともいえる要素を両義的に描き、理性と感情の狭間で倫理観を激しく揺さぶられるような強烈な作品だったように思う。
教育に携わっている方々は勿論、子を持つ親にこそ観ていただきたいと強く感じた一本だ。
厚労省の統計によると令和5年度に自死を遂げた小学生児童の数は13人、高校生まで含めると計347人にもなるそうだ。
良子と裕美の物語は、フィクションではない。
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