ホロウェイと激闘も敗戦。「美しい物語に感謝してる」ダスティン・ポワリエ、“最後の25分”で示した故郷への愛|UFC 318
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ホロウェイと激闘も敗戦。「美しい物語に感謝してる」ダスティン・ポワリエ、“最後の25分”で示した故郷への愛|UFC 318

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世界最高峰の総合格闘技(MMA)団体として、世界最高のMMAアスリートが名を連ねるUFC。U-NEXTがライブ配信した2025年7月20日(日本時間)開催の『UFC 318』では、ライト級5位”マックス・ホロウェイ”と、この試合での引退を発表している同級6位の”ダスティン・ポワリエ”がBMFのベルトをかけて、メインイベントで対戦した。

試合はホロウェイが豊富な手数で第1ラウンドにノックダウンを奪ったものの、ポワリエも徐々にタイミングと距離をつかんで盛り返し、一進一退の展開に。終盤まで激しい打撃戦となるも、最後まで巧みさを見せたホロウェイが判定(49-46、49-46、48-47)でポワリエを上回り、BMFベルト防衛を達成した。

今回は、試合後会見でダスティン・ポワリエが自らの言葉で語った心境や想いをお届けする。

「みんなが俺の旅路を追いかけてくれたことに、ただ感謝してる」

──プレス席を通り過ぎる時、ジャッジのスコアよりも接戦だったと思うと話していました。皆に祝福されている一方で、あなた自身は結果にもっとイライラして、腹を立てているように見えましたが。

ポワリエ:ああ、もちろん勝ちたかったよ。マックスは素晴らしいファイターで、タフな相手だ。ただ、嵐の中心にいた俺としては、もっと接戦だったと感じてたんだ。本当に、5ラウンド目に入る時点で2対2かもしれないと思ってた。

ロッカールームに戻ってから(コーチの)マイク・ブラウンがスコアカードを確認したんだけど、ジャッジによって俺が取ったラウンドが違ったみたいだ。だから、わかんねえな…。ジャッジ全員が彼に第2ラウンドを与えたと思う。俺はマックスをもう少しで仕留められると思ってた。マックスも俺にダメージを与えたけど、俺のパンチは…エルボーで追撃した時、効かせてたんだ。

メディカルテントでマックスに言われたよ、「やられるところだった」って。試合の中にいると、スコアよりもずっと接戦に感じたんだ。ジャッジを聞いた時、「ありえない」って思った。もっと競ってたはずだって。でも、これが現実さ。

──もっとこうすれば良かったとすぐに思うことはありますか?試合を見返せば、時間と共に出てくるでしょうが…。

ポワリエ:5ラウンド目に入る時点で接戦だと思ってた。2対2かもしれないと。だから5ラウンド目を取るために、もう少し自分を危険に晒すことができたかも。そうしたら、フィニッシュされてたかもしれないし、俺がフィニッシュしてたかもしれない。わかるだろ?5ラウンド目にもっとチャンスをつかみに行くこともできた。でもそこまでは、プロとして賢く戦おうと試合を組み立ててたんだ。

マックスは入ってくるたびに、右手のカウンターを狙ってるように見えた。でも面白いことに、一度もそれを打ってこなかったんだ。マックスのフットワークと動きは、その右を打つ準備ができてるように感じたんだけどね。だから、カウンターをもらうリスクはあまり冒したくなかった。空振りしてカウンターをもらうのは嫌だったから。

それに最初の2ラウンドで、すでに効かされてたし…俺は戦った。戦って、うまくやってると思ってたんだ。毎ラウンド接戦だったと思う。後からなら何とでも言えるけど、賢く戦ったし、マジで勝とうとしたんだ。

──この結果を受けて、いま引退するという決断が正しいことを示していると考えますか?

ポワリエ:いや、俺は世界のトップ選手の一人と渡り合って、接戦だったと思ってる。コンディションは良かった。“カーディオ”も良かったし、動きも良かった。そして俺はそれを望んでたんだ。まだやれるってことを見せて、接戦に持ち込んで、「見てくれ、俺はまだトップレベルにいる。自分の意志で去るんだ」と言えるようにしたかった。消耗戦、泥仕合になることを望んでて、まさにそのとおりになったんだ。

──今週起こったこと、あなたが祝福されている様子からして、どう考えても敗者だと感じてはいないでしょう。この経験全体が、勝利だったように感じます。

ポワリエ:最高だったよ。本当に今週は感謝されてるって感じた。インタビューで何度か聞かれた時に言ったんだけど、今週が訪れるまでは自分のことを振り返ったり、第三者の視点で「ワオ、俺はこのスポーツで本当に多くのことを成し遂げたな」とか、「みんなに特別な感情を抱かせ、インスピレーションを与えたんだな」なんて考えたりしたことはなかった。でも今週もらった愛情や反響は信じられないほどで、本当にそう感じてるんだ。みんなが俺の旅路を追いかけてくれたことに、ただ感謝してる。

そして、人は心に決めたことなら何でもできるんだ。それが俺の物語であってほしいし、みんなにもそれを実感してほしい。どこから来たかなんて関係なく、信じて一生懸命努力すれば、夢は叶えられる。だって俺は、リル・ウェインと一緒に入場して、自分の夢を生きている。ただの子どもだったんだよ。それなのに…本当にクレイジーな話さ。世界最高の男たちと激闘を繰り広げる。なんて美しい人生なんだろう。これは美しい物語だ。なぜなら、俺がその作者を知ってるから。そういうことさ。

「時計を何度も見上げてたよ。『いつやるんだ?』ってね」

──もう引退したわけですが、これからは競争心を抑えなければならないのでしょうか?それとも、サッカーの試合でサイドラインから叫んでいるようなお父さんになって、競技とかかわり続けるのでしょうか?

ポワリエ:いや、サッカーのサイドラインで“ファイト・オブ・ザ・ナイト” になんて誰もなりたくないさ(笑)。まあ、どうなるだろうね。俺を忙しくさせてくれるものはたくさんあるから。

でも、今回と同じ感覚を味わえるものは絶対にないだろうね。観客が勝利を願ってくれる中を入場し、世界最高の選手の一人と25分間戦う。その空白を埋めてくれるものは絶対にない。これから先、そんなふうに感じられるものがあるかどうかはわからない。

でも、何か見つけられるといいな。このスポーツと関わり続けたい。ESPNで働き続けたいんだ。このスポーツは俺に人生のすべてを与えてくれたし、他の子どもたちが夢を追いかけるのを見て、この10年間で学んだことを少しでも伝えられたらと思う。

ポワリエ 1

──もちろん、試合が始まろうとしている時、紹介されている時は集中していたでしょう。でもケージに入った時、「これが最後だから、この瞬間を心に刻まなければ」と思う部分はありましたか?

ポワリエ:ああ、今週ずっとそのことを考えてたよ。「この瞬間に、すべてを感じたい」ってね。アドレナリンが出て視野が狭くなると、目の前のタスクにただ集中してしまう。けど今回はそうではなくて、できる限りすべてを受け入れて、吸収することができた。「ワオ、俺は故郷の州にいるんだ」と気づいたんだ。そして、愛情を感じた。故郷の州で、素晴らしい相手と戦う。まさにそのとおりになったんだ。

──入場してきてファンの声援を聞いた時、そして引退試合でアリーナ全体があなたのために揺れるあの瞬間は、どんな感じでしたか?

ポワリエ:信じられない感じだったよ。非現実的で、まるで映画のようだった。別の視点から自分を見てるような…本当にクールだったね。愛情を感じて、そして振り返るとウェインが一緒に歩いていて…俺はルイジアナのストリート出身なんだ。彼の曲を聴いて育って、その張本人が俺と一緒に歩いていた。クレイジーな話だよ。

──もし試合が5ラウンド終盤まで行ったら、あの瞬間(最後の10秒での殴り合い)が来るだろうとわかっていたと思いますが、実際に頭の中ではどんなことがよぎっていましたか?

ポワリエ:ああ、俺はやりたかったんだ。だから時計を何度も見上げてたよ。「いつやるんだ?」ってね。俺が何度か時計を見ているのを見ただろ?「残り25秒か、まだだな」と思ってたんだ。

それからマックスが指を下に向けたから、「オーケー、やろう」と。そしたらマックスに何発か食らって(笑)、「オーケー、少しレスリングしよう。クリンチだ。残り8秒しかない」ってなったんだ。

──UFCがあなたのために制作したビデオを見て、オクタゴンから最後のウォークアウトをする時、何を考えていましたか?

ポワリエ:あのビデオは…あのビデオは、見るのが辛かったな。この旅路全体が俺にとってすごく意味深いもので、母や最初のマーシャルアーツ・キックボクシングのコーチが映ってるのを見て…彼らが撮影に参加してるなんて、知りもしなかったんだ。娘が話してるのを見て、本当に胸が締め付けられたよ。この旅路があって、それが記録されてて、みんなが長い間ついてきてくれたことに、ただ感謝してるんだ。

俺がそれほど大きな存在だとは、考えたこともなかった。みんながそこまで気にかけてくれてるなんて、知らなかったんだ。俺はただ、家族を養うために戦ってるだけだと思ってたから。この最後の週まで、自分がこんなに多くの人に影響を与えていたなんて知らなかったよ。

「あの歓声の中でやるのは、本当にクレイジーだった」

──試合の終わりに、アカディアナの旗を羽織っていましたね。UFCでのキャリアを通じて、これほど大きな舞台でアカディアナ地域を代表できたことについて話していただけますか?

※ルイジアナ州南部に位置する、フランス系移民(ケイジャン)の文化が色濃く残る地域。ポワリエの故郷ラファイエットもこの地域に含まれる。

ポワリエ:ああ、UFCに入る前から、アカディアナを代表してきたんだ。自分たちのショーツがあった頃は、ウエストバンドに旗をプリントしてたし、ケイジャンの人々のために旗を掲げ続けてきた。なぜなら、彼らが今の俺を作ってくれたからだ。

だから、娘が生まれた時にルイジアナに戻ったんだ。コミュニティ意識があって、地元をサポートする場所で彼女を育てたかったから。他とは違うのさ。ラファイエット、アカディアナ地域は、他のどこよりも違うんだ。世界中を旅してきたけど、俺は故郷が大好きだ。そして娘にもその中で育ってほしかった。

そして、これからも財団と共に、他の若いファイターたちが夢を追いかけるのを助け続ける。そういう形で、代表し続けられたらと思ってるよ。格闘技は俺の人生を変えた。そして俺は、ルイジアナ州ラファイエットの出身だ。18、19年前は、ラスベガスの明るい光やUFCはあまりにも遠く、叶わない夢のように感じられた。でも、努力によってそれを実現したんだ。だから、他の子どもたちにもできるとわかってるのさ。

──この後は何がしたいですか?

ポワリエ:家に帰るのが待ちきれないよ。飛行機じゃなくて、車で家に帰るんだ。きつい試合の後だけど、車で帰る。娘とはもう計画を立ててあるんだ。映画を見て、ポップコーンを作って…ただの父親になるのさ。

1週間前の土曜日にチームと一緒に(ラファイエットに)飛んで、ここニューオーリンズに車で来た。その前に数日間、少しリラックスする時間があったんだ。でもこの試合のために南フロリダで9週間、トレーニングで留守にしてた時間もあった。だから、ただ家に帰って父親になりたい。長い白い靴下を履いて、何かバーベキューして、芝生を刈って、普通の生活に戻るんだ。

──グローブを置いて地域社会に戻ることを、嬉しく感じていますか?来月にはあなたの財団によるバックパックの寄付活動がありますし、それがあなたにとって一年の大きな部分を占めていると知っています。

ポワリエ:俺には地元に素晴らしい、信じられないほどのチームとコミュニティがいる。財団の理事会や家族、友人、みんな俺がキャンプ中に倉庫に行って、バックパックを詰めてくれたんだ。多分1300か1400個の学用品で満たされたバックパックだ。

財団がそこまで大きくなったことは素晴らしいことだよ。そして、子どもたちが新学期に必要なものをすべて手に入れられるように、学用品を必要とする家族に提供する。それは俺にとって重要なことなんだ。

ポワリエ 2

──地元の出身として、このアリーナには何度も来たことがあると思います。過去にここであなたが見た光景は、今夜ルイジアナの皆から聞いた歓声のレベルに匹敵すると思いますか?

ポワリエ:2ラウンドのゴングは聞こえなかった、まったくね。コーチが言うには、俺はまだエルボーやパンチを投げてて、ドアは既に開いてたそうだ。彼らがケージに入ってきても、何も聞こえなかった。あの歓声の中でやるのは、本当にクレイジーだったよ。

マックスが入場する前、俺の入場が終わる頃でさえ…コーチたちが俺に話しかけてるのが聞こえなかったんだ。彼らはケージのすぐそばで俺の前に立ってたのに。最高だったよ。

「俺は本当に好きなことをしていた。単なる仕事じゃなかったんだ」

──次のダスティン・ポワリエになるかもしれない、今夜あなたを見ていた子どもたちに、何かアドバイスをいただけますか?

ポワリエ:自分の夢を追いかけること。心の中にあるものは何でもさ。批判する人の声や、外野の騒音に耳を貸すな。目標さえあれば、夢さえあれば、きっと何かを実現できる。本当にできるんだ。努力と献身があればね。記者会見で言ったように、山をも動かせる。不可能に思えることも、信じて努力すれば可能になる。クレイジーすぎる夢なんてないんだ。

──アメリカン・トップチームはアスリートとして、人間としてのあなたをどう変えましたか?出会った人々、一緒にトレーニングした人々について教えてください。

ポワリエ:アメリカン・トップチームは信じられないほどのジムだよ。2012年に移ったんだ。初めて1週間滞在してから家に飛んで帰り、その週には引越しトラックを借りて、家の荷物を全部詰めて、ジムまでまた向かったんだ。それで完全に家を離れたよ。「ここにいなきゃダメだ。この人たちとトレーニングしなきゃダメだ」って言ってね。

地元にも素晴らしいコーチやトレーニングパートナーがいたけど、彼らはパートタイムのようなもんだった。アメリカン・トップチームに行ったら、マットの上もコーチ陣も、これを生業としてる人たちで埋め尽くされてたんだ。だからこそ、俺はそこにいる必要があるとわかったのさ。

2012年から、今夜俺のコーナーにいた仲間たちと一緒に過ごしてきた。コーチやトレーニング、パートナー以上の存在さ。まさに家族だよ。たくさんのファイトウィーク、たくさんの浮き沈み、たくさんのお祝いの夜、たくさんの泣いた夜を一緒に経験してきたから、俺たちの間には永遠に続く絆があるのさ。

──初めてこのスポーツに恋をした瞬間を覚えていますか?そして、その時の若いダスティン・ポワリエを、今のあなたはどう思いますか?

ポワリエ:ああ、覚えてるよ。17歳くらいでボクシングを始めて、18歳でMMAを始めた。そして、一対一の競争に夢中になったのを覚えてる。何かがうまくいってもいかなくても、自分以外の誰のせいにもできない。それこそが大好きになった理由さ。

なぜなら、「俺はいつも自分自身を頼りにできる」と感じられるからね。もしあの頃のガキの俺に話せるなら、「全部価値あるものになるぞ」って言ってやるよ。「最後には全部報われる」ってね。

──15年前のドキュメンタリー映画『ファイトヴィル』の撮影中、あなたは自分をプロファイターと呼ぶことを拒否しました。当時は格闘技で家族を養えていなかったからだと。そして今日、引退する日に、あなたはその目標とそれ以上のことを成し遂げました。そのことについてどう感じますか?

ポワリエ:良い気分だよ。総合格闘技は、俺が夢見た場所へ、家族を安定した生活へ連れて行くための乗り物だった。娘の大学の学費も、健康保険も確保できたんだ。夢を追いかけることを通じて、これらすべてを成し遂げられたことに感謝してる。俺は本当に好きなことをしていた。単なる仕事じゃなかったんだ。

これから先、少し怖いんだ。拠り所にできるものが、自分の中からなくなってしまうことがね。格闘技は、いつも俺を安心させてくれる場所だった。人生で何が起ころうとも、ジムに行って仲間たちと血と汗を流せば、他のことは何も問題じゃなくなった。だから、どうなるんだろうなあ…本当に、格闘技は俺にとって大きな存在だったよ。

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