「過去の方が色鮮やかにも思える」荒井晴彦監督『花腐し』インタビュー
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「過去の方が色鮮やかにも思える」荒井晴彦監督『花腐し』インタビュー

2024.03.21 12:00

綾野剛さん演じるピンク映画の監督と、柄本佑さん演じる脚本家志望だった男が、さとうほなみさん演じる心中した女優との奇縁により、雨の降る街で交錯することになる映画『花腐し』。

原作は松浦寿輝さんが第123回芥川賞を受賞した同名小説で、荒井晴彦さんが4作目の監督作として共同脚本も手掛け、大胆な脚色を行っています。日本を代表する脚本家の一人でもある荒井さんは、オリジナル要素の多い今回の脚色をどのように行ったのか。映画化の経緯や原作ものとの向き合い方などを、原作者の方からの評価や公開後の反響までも含めて語っていただきました。

失われていく1人の女性とピンク映画界へのレクイエム

──『花腐し』の原作に興味を持ったきっかけは、20年位前の湯布院映画祭で廣木隆一監督と竹中直人さんに会った際に、映画化したい小説があると話していたことだったそうですね。そこから映画化実現までの経緯を教えてください。

荒井:2人とも映画化が実現しなかったので、10年以上前に別のある監督に撮らせたいと思い、話し合いながら弟子の中野太に脚本の第1稿を書いてもらったんです。すると、俺の脚本家デビュー作『新宿乱れ街・いくまで待って』の中野版みたいな脚本があがってきたんだけど、制作費が集まらなかった。その後、監督した前作『火口のふたり』の評判が良く、観客動員もまずまず上手くいったし、楽しい現場だったので、体力があるうちにまた撮りたいなと思った時に、そういえば『花腐し』のシナリオがあったなと。あれを自分で撮ろうと。

それで2019年の秋頃に東映ビデオのプロデューサーの佐藤現さんに脚本を読んでもらったところ、「やりましょう」と即答していただきました。でも、年明けからコロナ禍になり、濃厚接触シーンが多いこの映画は撮れないなと。結局、撮影できるようになったのが、2022年9月でした。

──綾野剛さんが演じた主人公の栩谷修一の職業について、原作では小さなデザイン事務所を経営するデザイナーでしたが、映画ではピンク映画の監督に変えていますね。原作にはデザイナーとしての仕事はほとんど書かれていないので、原作者の松浦寿輝先生も主人公の職業には重きを置いていないだろうと考えたわけですか?

荒井:そうですね。デザイナーとして描くには具体的な仕事内容がよくわからなかった。それに俺がよく知っているのは映画の世界だったし、初稿を書いていた2013年頃というのは、多くの映画館がフィルム上映からデジタル上映に切り替わった時代でした。撮影はもっと早くデジタル化が進んでいた中、ピンク映画はなぜかずっと35ミリフイルムで撮るのが主流だったけど、それも段々と不可能になり、ピンク専門の映画館も閉館が増えていた。「ピンク映画は終わっちゃうのかな」と思うような中で書いていたので、それなら「1人の女性とピンク映画へのレクイエム」で、「幽霊話にもしよう」と思ったわけです。

花腐し
©2023「花腐し」製作委員会

──幽霊話というのは、原作の結末から発想されたものですよね。

荒井:ラストシーンは原作と同じです。「こわごわ振り返って階上の暗がりに向かって伸びている階段の続きを見上げると、もうその白っぽい後ろ姿は2階の廊下の方へ折れてゆくところだった。その後を追おうとして栩谷は今下りてきたばかりの階段の最初の段にもう一度足を掛けた。」という小説のラストに向かって作っていきました。それに、今までリアリズムできたけれど、“幽霊映画”というものに挑戦してみようかなと。

栩谷は大家に頼まれ、退去願いを無視して居座る伊関貴久(柄本佑)をアパートから立ち退かせようとして2人は出会うことになるわけですが、そのアパートに向かう途中の坂の階段を上がるところに晴天と雨雲との境界線があり、雨の中に入っていく。それは異世界との境界線で、そのシーンを脚本に書いた時、リアリズムから離れて自由な気持ちになれたし、何でもありだなと思えたんですよね。伊関が居座るアパートは異世界の幽霊屋敷かもしれないと。

──原作では1行程度しか触れられていなかった伊関の過去の彼女を、栩谷の亡くなった同棲相手の桐岡祥子(さとうほなみ)と同一人物にしたことで、三角関係の愛の物語として大きく膨らんでいますね。

荒井:初稿を書いていた頃に、ホン・サンス監督の『ハハハ』を見たんです。映画監督とその友人の男2人が、旅先で焼酎を飲みながら思い出の女性の話をするんだけど、過去を映像として見せるので、観客には2人が同じ女性の話をしているとわかるけど、話している本人同士はそれに気づかないまま終わる。これは面白いと思ったけど、この映画では話している本人同士も最後に同じ女性を愛していたことがわかるようにしました。

花腐し_場面写真_03
©2023「花腐し」製作委員会

原作と映像作品は違うものだということが前提

──原作が中編小説だったからというのもあるのでしょうが、原作者の松浦寿輝先生が今回の脚本を“超訳”と評されているように、オリジナルな部分が多いですね。

荒井:原作とはかなり変えていますけど、雨などのポイントとなる描写や台詞、結末などは変えていませんし、原作の持っている匂いやトーンみたいなものは踏襲しているつもりです。

──原作ものを映像化する上で、どう脚本化するのかは、非常にセンシティブな問題にもなっていますね。

荒井:実写化もアニメーション化もすべてそうですが、原作と映像作品は違うものだということが前提だと思います。そもそも俳優が演じる映画やドラマと、動かない画の漫画や活字の小説とは違うものです。原作と同じというのは無理があるのではないかと思います。

──原作者の方とコミュニケーションをとって、変えたい部分や変えたくない部分、必ず描くべき部分などを話しあえるかどうかが重要なのではないでしょうか。

荒井:映画もドラマも、プロデューサーと出版社の間だけでやりとりしていることが多く、原作者と脚本家が直接話し合える機会はなかなかないのが問題だとも思います。俺は映画にしたい原作がある時には、プロデューサーと一緒にその原作者の方に直接会いに行ってお願いするし、「こことここはこういう風に変更したいのですがいいですか?」と相談します。今回も原作者の松浦さんに会いに行って原作をくださいとお願いしました。

──完成品の映画を観た松浦先生は「荒井さんが私の作品をスケープゴートにして、映画作家として“超訳”してみせた。それは、超絶的な美技だと感じました。とても素晴らしい映画を作られたと思います」とプレス資料に好評を寄せていますね。

荒井:初号試写を松浦さんが見終わって、どうでしたかと聞いたら、「あのパソコンのシナリオのところはメタフィクションですね」と。さすが松浦さんと嬉しかったですね。「映画1+1」とか「ゴダール」という著作もあって、映画がわかっている方なので、原作小説と違っても、映画が面白くなればいいんじゃないですかと言ってくれてます。原作小説が好きなら小説を読めばいいと。

『花腐し』荒井晴彦監督_04

綾野剛さん、柄本佑さん、さとうほなみさんの魅力

──中心人物の3人を演じた、綾野剛さん、柄本佑さん、さとうほなみさんが素晴らしい演技をされていますが、どのようにキャスティングされたのでしょうか?

荒井:当初は現代を舞台に、主人公の栩谷役をもう少し上の世代でイメージしていたのですが、なかなか裸になってくれる方がいませんでした。でも回想シーンとのギャップを考えたりする中で、劇中の時代設定をモノクロで描く“現在”は2012年、カラーで描く回想シーンの“過去”を2000年にして、改めて栩谷のイメージに合う方を考えたところ、綾野くんに受けていただくことになりました。ほなみは城定秀夫監督の『愛なのに』を見ていいなと思っていたので、オーディションに来てもらい、お願いすることになりました。2人とは初めて組むため、新人監督としては不安もあったので(笑)、もう1人は旧知で前作『火口のふたり』にも出てもらっていて安心できる佑に、現場にいてもらわないと困るといってお願いしました(笑)。

──演出をしてみて、改めて3人の俳優としての魅力をどう感じられましたか。

荒井:綾野くんは、一生懸命で真面目。とにかくいろいろなアイデアを考えてくる。俺が自由にやっていいよと言ったので、彼は栩谷役で俺の真似をしようと思ったみたいです(笑)。スタッフに「歩き方まで荒井さんの真似してますよ」と言われるまで、俺は気がつかなかった(笑)。それにプロフェッショナルですね。劇中の現在のシーンでは、少し若い頃の回想シーンよりちょっとお腹を膨らませて中年体型にしてみせている。まるで即席ロバート・デ・ニーロみたいに(笑)。佑は天才肌ですね。綾野くんと佑の芝居で、2人が喋っているだけでずっと見ていられる。ほなみも演じる役についてすごく考えてくるし、こちらを感心させるような非常にいい表情をするんですよね。

──祥子が浮気してきた後に栩谷と暮らす家に帰ってきて、服を脱いで下着を脱衣かごの下の方に隠すような芝居は、脚本には書かれていないし、演出もされていないそうですね。

荒井:栩谷の寝ているベッドに入ろうとして入れないで泣いてという、ほなみが絶妙な芝居をしていて、いいシーンになりました。あのシーンは、テストでほなみが演じてみせた時に「ベッドに入る前にどうして寒いのに裸になるの?」と聞いたら、「浮気相手の彼の匂いがついているから」と。それでベッドに入って、栩谷の背中で泣くという芝居をしてもらったんです。

先日、廣木隆一に会った際、今回のほなみも、『火口のふたり』の瀧内公美も、「廣木の作品に出演して練習してきてくれたおかげで、俺の作品で女優として大成功しているよ」と言ってやったら、嫌な顔をしていましたね(笑)。

──どのように演出されているのですか?

荒井:俺は神代辰巳さんや藤田敏八さん、根岸吉太郎など、日活にいた監督たちと一緒にやることが多かったからかもしれないけど、まずは「ちょっとやってみて」と演じてもらう。脚本を読んできた役者さんが、現場でどう演じるのかをまず見てみたいし、違っていると思ったら修正していくというやり方なので、最初からこうしてほしいとか、細かく手取り足取りみたいな演出は、基本的にはしないですね。ベッドシーンはやってみせた方が早いから、助監督を相手にやってみせます(笑)。

『花腐し』荒井晴彦監督_02

劇場公開後の反響とは?

──第97回キネマ旬報ベスト・テンの日本映画第6位にランクインするなど、高い評価を受けました。劇場公開後の反響をどのように感じましたか?

荒井:監督や脚本家の仲間からは、「上手くなった」「成長した」とか(笑)、「今までの4本の監督作の中で一番いい」と言ってもらえることもありました。観客の方でわからないと言う人が結構いて、例えば、物語はヒロインの祥子が心中したシーンから始まりますが、彼女が死を選んだ理由がわからないとか、あのパソコンのシナリオは誰が書いたのかとか、ラスト、栩谷は何を見て涙をこぼしたのかとか。もちろんこちらの考えはありますが、答えを決めていたり、真相究明するための映画ではない。観客の方それぞれが考えてくださればいいんですけどね(笑)。

──自由に解釈してもらったり想像力を働かせるために、あえて描かなかったり曖昧にしているのに、その意図や狙いをわかってくれない方も一部にはいらっしゃるわけですね。

荒井:心の声やナレーションで説明するようなわかりやすい表現に慣れすぎてしまって、すべてをわかりたがる人が多いような気がしています。柄本明も昨年の湯布院映画祭のシンポジウムで、「なんでそんなにみんなわかりたがるのか。映画はわからなくたっていいじゃないか」と言っていました。ミステリーやサスペンスなら、基本的には犯人や答えのようなものがあるかもしれないけど、そういう映画ばかりじゃない。それにこの映画自体も、わかりにくいことはやっていないと思うんですけどね(笑)。いちばん驚いたのは、雨の境界線のシーンで、雨を撮るなら曇天で撮るべきだろうと言う人が何人もいたこと。ピーカン狙いで撮影最終日に撮ったのに、雨の境界線がわかってないんだとショックでした。

──過去と現在が交錯する作品にはわかりにくい場合もありますが、今回は過去をカラーで、現在をモノクロで描いているため、非常に明確でわかりやすくなっていますね。

荒井:どうして逆じゃないのかと聞かれることもありますが、過去に色がないと決めたのは誰なのかと。俺のような後期高齢者になると、過去の方が色が付いていて、現在はもう灰色なんですよ(笑)。

『花腐し』と併せて見てほしい荒井晴彦作品

──1997年の初監督作『身も心も』から2015年の監督第2作『この国の空』まではかなり空きましたが、以降は2019年の『火口のふたり』に本作と、約4年おきに監督作を公開されていますね。

荒井:この年齢になってこんなに撮るのなら、若い時にもっと撮っておけばよかったなと思っています(笑)。『身も心も』を撮った後、監督オファーをいただいたこともあったのですが、当時はなぜか「この1本だけ」と思ってしまっていたもので。

──今後の監督作の予定も決まっているのでしょうか?

荒井:寿命との競争ですね(笑)。撮らせていただけるのなら、やりたいものはいっぱいあるので、準備中です。

──脚本を書かれた『福田村事件』も企画の立ち上げから参加されていました。今後もやりたい作品を撮るには、同じような関わり方になっていくのでしょうか?

荒井:それは昔からそうですね。依頼されて脚本を書くこともあるけれど、依頼してきたプロデューサーに「それをやるなら、こっちはどうですか?」と別の原作を推す逆提案もよくしていました。やっぱり自分で面白いと思った企画をやりたいじゃないですか。ただ、最近はいろいろ窮屈になってきているし、自分が面白いと思うものが、今の時代とずれていないかということは常に気になっています。

──U-NEXTでは、荒井さんの脚本作品が多数見られます。『花腐し』と併せて、特にお薦めしたい作品があれば教えてください。

荒井:映画だけでなく、『誘惑』のような俺がやった唯一の連ドラも見られるんですよね。U-NEXTさんは俺も見ることがあって、昨年11月23日に、神戸映画資料館で特集上映『荒井晴彦映画祭 PartⅡ 「私映画」の向こう側』があった際には、『ベッドイン』がフィルム上映されるというので、事前に観てから話したいと思ったけど、ソフト化されていない。困ったと思ったらU-NEXTにあって見直しました。それと『新宿乱れ街・いくまで待って』の主人公の名前と、『花腐し』で奥田瑛二が演じた役名は同じ沢井で繋がっているんです。俺の脚本家デビュー作でもありますので、『新宿乱れ街・いくまで待って』も併せて見ていただけたら嬉しいですね。

『花腐し』荒井晴彦監督_03

(プロフィール)
1947年生まれ。東京都出身。ピンク映画の助監督を経て、1977年に日活ロマンポルノ『新宿乱れ街・いくまで待って』で脚本家デビュー。キネマ旬報ベスト・テンの脚本賞を5回、日本アカデミー賞の優秀脚本賞を5回受賞するなど、日本を代表する脚本家として活躍。1997年には『身も心も』で監督デビューし、第3回新藤兼人賞・金賞受賞。2015年の監督第2作『この国の空』では第67回読売文学賞の戯曲・シナリオ賞受賞。2019年の監督第3作『火口のふたり』では、第93回キネマ旬報ベスト・テン日本映画作品賞(第1位)などを獲得した。映画脚本の代表作に、『遠雷』『時代屋の女房』『Wの悲劇』『もどり川』『ひとひらの雪』『リボルバー』『ヴァイブレータ』『大鹿村騒動記』『共喰い』『さよなら歌舞伎町』『幼な子われらに生まれ』『あちらにいる鬼』『福田村事件』など。

『花腐し』

花腐しサムネ
(C)2023「花腐し」製作委員会

斜陽の一途にあるピンク映画業界。栩谷は監督だが、もう5年も映画を撮れていない。梅雨のある日、栩谷は大家から、とあるアパートの住人への立ち退き交渉を頼まれる。その男・伊関は、かつてシナリオを書いていた。映画を夢見たふたりの男の人生は、ある女優との奇縁によって交錯していく。

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