米インディーズ映画の至宝、ケリー・ライカート。周縁の人々を見つめる眼差し
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米インディーズ映画の至宝、ケリー・ライカート。周縁の人々を見つめる眼差し

2024.02.05 18:00

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アメリカン・インディーズ映画の至宝、ケリー・ライカート。最近になってようやく、この名前が日本でも認知され始めてきた。

それもそのはず、彼女の作品が日本の劇場で初めて上映されたのは、2021年7月の特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」。2023年末には『ファースト・カウ』(2020)、特集上映「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」の一環として『ショーイング・アップ』(2022)が立て続けに公開。気鋭の映画スタジオA24が配給を手がけたこともあって、ポン・ジュノ、ジム・ジャームッシュ、濱口竜介らが認める才能が、スクリーンで鑑賞できる環境が整ってきた。

ケリー・ライカートの映画は、とてもミニマムでシンプル。舞台のほとんどがオレゴン州ポートランドで、ロードムービーになりきらないロードムービー、西部劇になりきらない西部劇が描かれる。ロードムービーというにはあまりにも移動距離が少ないし、西部劇というにはあまりにも活劇要素が少ないのだ。

そして彼女がカメラで焦点を当てるのは、何者かになろうとしてもがき続けている人々。小鳥のさえずり、犬の遠吠え、川のせせらぎ、列車の汽笛をバックに、片田舎のゆったりとした時間が流れていく。やがて人間の営みが自然の営みと同化してしまうかのような、不思議な感覚が立ち昇っていく。

カットを割らず、長回しを多用。劇伴はあまり使われず、自然音が全体を包み込んでいる。地球上のどこにでもいるような人々の、どこにでもあるような会話。一部評論家は、そんなスローシネマ的筆致をネオ・ネオリアリズム(Neo-Neo Realism)と呼んでいる。だがおそらく彼女は、かつての自分をスクリーンのなかの登場人物に仮託して、その人生の切れ端を定点観測しているだけなのだろう。

ケリー・ライカートは、フロリダ州マイアミ生まれの今年60歳。クエンティン・タランティーノやスティーブン・ソダーバーグと同じ世代だ。父親が警察官だったことから、小さい頃から事件現場で使用するカメラで遊んでいたという。やがて高校を中退すると美術学校で修士号を取得し、ニューヨークに移り住んで映画の美術スタッフとして働き始める。このときに出会ったのが、『キャロル』(2015)などで知られる映画監督トッド・ヘインズ。二人はその後仲の良い友人となり、トッド・ヘインズはライカート作品のプロデューサーとして関わることになる。

そして1994年、彼女が30歳のときに、『リバー・オブ・グラス』(1994)で映画監督デビュー。世界が新たな才能に刮目した。


『リバー・オブ・グラス』(1994)

リバー・オブ・グラス_02
© 1995 COZY PRODUCTIONS

変わり映えのしない毎日に飽き飽きしている30歳の主婦コージーが、ひょんなことから知り合った男と車で逃避行…と思いきや、モーテルでひたすらダラダラしまくる、アンチ・ドラマティックなライカート版『俺たちに明日はない』。永遠に非日常が訪れない淡々とした日常の素描に、彼女らしさがスパーク。彼女のフィルモグラフィーのなかで、最もアメリカン・ニューシネマの香りが濃厚な作品だ。

年齢といい、父親が警察官という設定といい、コージーはライカート自身を引き写した存在だろう。クレジットカードで製作費を捻出し、小道具の銃を振り回す撮影が警察によって妨害されるアクシデントに見舞われながらも、初監督作にしてサンダンス映画祭審査員大賞にノミネート。批評家から絶賛を浴びた。

『オールド・ジョイ』(2006)

オールド・ジョイ
© 2005,Lucy is My Darling,LLC.

『リバー・オブ・グラス』がサンダンスで賞賛を浴び、どうにかどうにかクレジットカードの借金を返済して次回作の制作に動いたものの、第2作『オールド・ジョイ』(2006)の公開までには、10年以上の歳月を要してしまった。彼女はニューヨーク大学で非常勤講師の仕事をして生計を立てながら、この傑作を撮り上げた。

描かれるのは、オルタナティヴ・ロックバンドのヨ・ラ・テンゴによるアメリカーナなサウンドにのせて、幼馴染の男2人が温泉旅行に行くだけの物語。だがどこか会話はぎごちなく、妻の出産を控えているマークはどこか上の空。ライカートは驚くほど周到な手つきで、2人の間にかつて存在したであろう友情が、すでに失われてしまっていることを提示する。そして、観ている我々の気持ちをどこか置き去りにさせてしまうような、不思議な手触りを感じさせるラストシーン。この後味は鮮烈だ。

『ウェンディ&ルーシー』(2008)

ウェンディ&ルーシー
© 2008 Field Guide Films LLC

愛犬のルーシー(前作『オールド・ジョイ』にも出演していたあのルーシーです)と一緒に、古いアコードで一路アラスカを目指すウェンディ。だが途中で車が故障で動かなくなり、おまけにルーシーも行方不明になってしまい、途方に暮れてしまう。お金もなく携帯電話もない彼女が、見知らぬ土地で右往左往するさまを、ケリー・ライカートはヴィヴィッドに描き出す。この作品もまた、“ロードムービーになりきらないロードムービー”なのだ。

ウェンディを演じたミシェル・ウィリアムズは、チャーリー・カウフマン監督の『脳内ニューヨーク』(2008)の出番を終えた48時間後に、この作品に合流。インスピレーションを得るため、参考になりそうな書籍や映画をケリー・ライカートとメールでやりとりして、役を固めていった。その後ミシェル・ウィリアムズは、『ミークス・カットオフ』(2010)、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016)、『ショーイング・アップ』(2023)に出演し、ライカート作品に欠かせない俳優となっていく。

『ミークス・カットオフ』(2010)

ミークス・カットオフ
© 2010 by Thunderegg,LLC.

ゆっくりと川を横断していく幌牛車。渡り終えると、水を汲み、洗い物に従事する。一仕事終えると、家族たちはまた歩き出す。歩いて、歩いて、とにかく歩きまくる。西部開拓時代の壮大な荒野を舞台に、まるでサイレント映画のような静謐さで、物語はゆっくりと綴られていく。

だがスローシネマ的文体とは対照的に、我々に叩きつけてくるものは非常に強烈だ。強権的な男性原理に対して異議申し立てをするフェミニズム的文脈、ネイティヴ・アメリカン(異人種)との連帯というダイバーシティ的文脈。西部劇というオールドスクールなフォーマットを彼女なりに解体・再構築したことによって、現代的な文体に刷新されている。

注目すべきは、夜のシークエンス。目を細めて凝視しないと、何がどうなっているんだかさっぱり分からないくらいに、漆黒の闇が世界を覆い尽くしている。視認性を犠牲にしてでも、当時の闇を再現しようとするライカートの強い覚悟を感じてしまう。

『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(2013)

ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画
© 2013 by Tipping Point Productions, LLC. All Rights Reserved.

ケリー・ライカート作品としては、かなり異色のフィルム。なにしろ、過激な環境テロリストがダム爆破の計画を立てて実行しようとする、ストレートなサスペンス・スリラーなのだから。とはいえ、林の中をゆっくりと車で移動するシーンだったり、ボートで湖を渡っていく美しいワイドショットに、映像作家としてのシグネチャーがしっかりと刻まれている。

元々はポール・ダノとルーニー・マーラが主役に想定されていたが、ジェシー・アイゼンバーグとダコタ・ファニングが起用されたことで、より青春映画としての色合いが強まることとなった。それにしてもこの日本語タイトル、午後ローでやるようなB級感が満載なんだけど(原題は『Night Moves』)、どうにかならんものかしら。

『ショーイング・アップ』(2023)

SHOWING-UP Cannes-Still 01
© 2022 CRAZED GLAZE, LLC. All Rights Reserved.

彫刻家のリジーは、美術学校でデスクワークのアルバイトをしながら、日々せっせと創作活動にいそしんでいる。でも湯沸かし器が故障したり、傷ついた鳩の面倒をみる羽目になったり、精神的に不安定な兄の様子を見にいったり、日常のあれやこれやでなかなか集中することができない。この作品には創作の悩みではなく、創作に没頭できない悩みがユーモラスに描かれている。それはライカート自身がアーティストとして生きていくにあたって直面した、リアルな実感なのだろう。「商業的な要求に邪魔されずに仕事をするためには、商業的な役割をしなければならない」という皮肉として。

何よりもこの映画は、ミシェル・ウィリアムズ演じる主人公リジーと、彼女の住むアパートのオーナーで芸術家でもあるジョー(ホン・チャウ)との、友情というよりは密やかな連帯とも言うべき関係性を描いた作品でもある。そのコミュニケーションの機微と関係性の変化が、とても美しい。

歴史の教科書では決して顧みられることのない、周縁の人々を見つめる眼差し。ケリー・ライカートはまるでスコップを持った考古学者のように、名もなき人々の物語を発掘していく。そこには、ミニマムな物語のなかにマキシマムな世界が広がっている。

かつてポン・ジュノ監督は、アカデミー賞の受賞スピーチで「最も個人的なことが、最もクリエイティブなことなのです」というマーティン・スコセッシの言葉を引用した。筆者にとって、いま最もその言葉を思い起こさせるフィルムメーカーこそ、ケリー・ライカートである。

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