荒井晴彦さんの2024年の1本は『チネチッタで会いましょう』
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荒井晴彦さんの2024年の1本は『チネチッタで会いましょう』

2024.12.18 12:00

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荒井晴彦さんが、映画『チネチッタで会いましょう』を「2024年の1本」に選んだ理由

IMG 0750 - 荒井晴彦

ハンガリーのサーカス団がイタリアに来ている時にハンガリー動乱が起きる。ソ連の支配に対して武装蜂起した学生、労働者、市民に連帯してサーカス団はストライキ、つまり興行を中止する。象や馬、動物のエサ代がかさんで、サーカスを招聘したイタリア共産党の支部長は困り果てる。という1956年の映画を撮っている監督が主人公である。ソ連は戦車でこの「革命」を弾圧した。各国の共産党はソ連を支持し、ハンガリー動乱は反革命と規定した。やはり反革命規定した日本共産党、社会党に対して、反革命暴動ではなく、あれは革命だとして反スターリン主義を掲げた新左翼が誕生した。

アメリカやイギリスの西側諸国は自由を求めたハンガリーを見殺しにした。『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』はメルボルンオリンピックのハンガリーとソ連の水球の「流血戦」を絡めた傑作です。『イージー・ライダー』のカメラマン、ラズロ・コヴァックスと『スケアクロウ』のカメラマン、ヴィルモス・ジグモンドはこの時、アメリカに亡命した。

ナンニ・モレッティ演じる監督は、支部長が自殺するラストが好きになれないと言い出す。そして、「もしも」で歴史を描きたいと。

支部長たちはイタリア共産党本部にデモをかける。「トリアッティ同志、ハンガリーの蜂起と自由を支持すると党が表明するまで、我々はここを動かない。我が支部がハンガリーを支持したとたん、イタリア全国の同志から連帯を示す電報が届いた」と呼びかける。

印刷所の輪転機のシーンになって、機関紙「ウニタ」が刷られている。デモの連中に配られた「ウニタ」の見出しは「さらばソ連邦」。歓喜のデモ。嬉しかった。こんなに明るい気持ちになったのは久しぶりだ。

素敵な「たられば」映画です。

荒井晴彦さんプロフィール

1947年東京都生まれ。季刊誌『映画芸術』編集・発行人。日本映画大学特任教授。若松プロの助監督を経て、1977年『新宿乱れ街 いくまで待って』で脚本家としてデビュー。キネマ旬報脚本賞を『Wの悲劇』(1984)、『リボルバー』『噛む女』『待ち濡れた女』(1988)、『ヴァイブレータ』(2003)、『大鹿村騒動記』(2011)、『共喰い』(2013)で受賞。橋本忍に並んで最多受賞となる。他、『神様のくれた赤ん坊』(1979)、『赫い髪の女』(1979)、『遠雷』(1981)、『嗚呼!おんなたち 猥歌』(1981)、『キャバレー日記』(1982)、『ダブルベッド』(1983)、『海を感じる時』(2014)、『さよなら歌舞伎町』(2015)など多数の脚本を手がける。『身も心も』(1997)で初監督。監督2作目の『この国の空』(2015)は読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。3作目の『火口のふたり』(2019)でキネマ旬報ベスト・テン1位、主演女優賞。ヨコハマ映画祭作品賞、最優秀新人賞(瀧内公美)、特別大賞を獲得。4作目の『花腐し』(2023)は日本映画プロフェッショナル大賞で作品賞、監督賞、新進女優賞(さとうほなみ)を受賞した。

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