プレーオフシリーズ初戦、松山英樹は17位でフィニッシュ 最終日は「65」で締めくくるも、もどかしさを滲ませる|フェデックスセントジュード選手権
PGAツアープレーオフシリーズ初戦となる『フェデックスセントジュード選手権』。前年優勝者で大会連覇を目指した松山英樹は、最終日を6バーディ、1ボギーの「65」で回り、通算7アンダーの17位でフィニッシュした。試合後の表情と言葉からは、もどかしさも垣間見えた松山。数日後には、プレーオフ第2戦となる「BMWチャンピオンシップ」(14日~17日)に臨む。
2024年にDPワールドツアーに戦いの場を移し、ツアー1勝、オリンピック出場と飛躍を遂げた中島啓太。しかし、その裏では腰痛に苦しめられ、心が折れる経験も。激動の1年をたっぷり語ってもらいました!
ーー2024年はDPワールドツアーで1年間プレーされました、振り返ってみていかがでしょうか。
中島啓太(以下、中島):最初の試合(ラアス・アルハイマ選手権)でかなり上位(4位)でフィニッシュできたので、ポジティブにシーズンをスタートできたかなと思うんですが、その後予選落ちも何度かあり、カットラインのレベルの高さというのは序盤ですぐに痛感しました。
ーーやはり、レベルが高いと?
中島:レベルが高いなというふうには感じていました。コース自体がかなり難しいなかで、カットラインがアンダーパーだったりとか。そこに合わせるのがまずはいっぱいいっぱいでした。
ーーアジャストする難しさはありましたか?
中島:毎週(プレーする)国が違うということで、移動に慣れることと、国が違ったら芝質も変わってくるので、ショートゲームだとか、そういうところにアジャストしていく必要があったかなと思います。行ったことのない国がかなり多くて、最初はアプローチで一番苦労しました。
ーー芝はどのように違うのでしょう?
中島:中東はバミュータのラフだったりとか、ティフトンのラフ、またはフェアウェイ外したら砂漠みたいなエリアから打ったりとか。いろんな打ち方だったり、考え方が要求されるようなところが多かったかなと思います。
ーーそして3月のヒーローインディアンオープンでは早々に初優勝を挙げられました。
中島:もちろん優勝することを目標にしていましたけど、シーズン序盤で優勝できるとは思っていなくて。コースが日本人向きというか、ティーショット(の落とし所)がかなり狭くて、ラフがかなり深かったので、フェアエウェイキープをしっかりしていけば通用するコースだったので、運があったかなと思います。
ーーアプローチも改善された結果かと思いますが、どのような練習をしたんでしょうか?
中島:1月にバーレーンとカタールで試合があったんですけど、そこでショートゲームでかなり苦労して、30ヤードのアプローチがグリーンに乗らなかったりだとか、そういうミスをかなりやったんです。そこでキャディさんとも相談しながら、まずはショートゲームから変えていこうと。また、ピンポジションがかなりタフで、「端から3(グリーンエッジから3ヤード」とかが多かったんですけど、遠いサイドに逃げてからのアプローチが難しくて、ショートサイドを攻め切ったほうがやさしかったなという風に感じたので、とくに最初はショートサイドのアプローチをまず寄せられるように練習していました。
ーーそういうふうな集中的な取り組みというのはプロになってからやったことがありましたか?
中島:2023年ももちろんショートゲームの練習はしていましたけど、芝が違うので……色々な打ち方をもっと知っておけばよかったという感じですね。色々な打ち方を覚えたりとか、試合中頭のなかに新しい打ち方が思い浮かんできたら、それを練習して。
ーー他の選手から学ぶこともありましたか?
中島:周りの選手も色々な打ち方をしていたのですごく勉強になりましたし、練習ラウンドでたまたま一緒に回った人のショートゲームの話を聞けたりとか。試合中、ライがこうでシチュエーションがこうで(というのを覚えておいて)、終わった後にまったく同じシチュエーションをショートゲームエリアで練習したりとか、そういう風にやりました。
ーーゴルフ漬けの生活がしやすい環境だったんでしょうか?
中島:ゴルフ漬けにしやすいですね。ゴルフ場とホテルの往復で、あとジムに行ったりとか……。唯一、夜の食事だけは街に出て、リラックスしたりっていう生活でした。
ーー食事は問題なく?
中島:僕は全然、(どの国でも)食事は食べられますし、ヨーロッパに行ってからは食事もおいしくて、文化も楽しめたかなと思います。
ーー初優勝に話を戻すと、初日から最終日までトップを譲らない完全優勝でしたよね。「行けそうだな」って思うタイミングはありましたか?
中島:ほかの選手がアイアンでレイアップしたりするなか、なんでレイアップするのかなと思いながら、逆に僕はドライバーで(グリーンの)近くまで行ったほうが攻めやすかったので、そこは自分の中で(ドライバーを持つと)決めて。みんなが刻んでいるところをドライバーで攻めることができたっていうのは、どんどん自信になっていきましたし、調子も良かったので、緊張はしましたけど、最終日まで自信を持ってプレーできました。
ーー自身の攻め方を貫いての勝利だったわけですね。
中島:そうですね。最終日のバックナインは4オーバーで、ちょっと終わり方は悪かったんですけど、それだけ(後続と)差をつけながらプレーできたというのは自信になりました。
ーー勝った直後に、次なる目標は思い浮かびましたか? オリンピックなのか、PGAツアーなのか。
中島:勝った直後の記者会見で、「ワールドランキングが何位に上がるよ、オリンピックも見えてきたね」っていうふうに現地の記者の方から言われて、まずはオリンピックに出たいなっていうのが頭に浮かびました。
ーーそれまでは意識していなかった?
中島:自分のランキングでは全然足りなかったし、優勝して見えてきた部分だったので。
ーーその後日本代表に内定されるわけですが、一方で夏場は腰痛に苦しんだと聞きます。
中島:スコティッシュオープン、全英オープンあたりから腰痛が出始めて。原因とかはあまり覚えていないのですが、(痛みの影響で)全英はボロボロで。予選落ちして一回帰国したんですけど、帰国して翌日の朝に靴下が履けなくなって。
ーー靴下が履けなかったとき、どんなことを思いましたか?
中島:オリンピックがあったので、まずはなんとかしないといけないっていうのと、痛みを言い訳にはできないので、なんとかやり切れるように準備しようかなって。
ーー4年に1度のオリンピックに出られるとなったタイミングでの腰痛。「なぜ、今?」と思われたりはしましたか?
中島:それはなかったです。やっぱりオリンピックに出られたのは本当に良かったですし、逆に腰痛であの結果(49位)に終わって、松山(英樹)さんの銅メダルを見て、学ぶことがかなり多かったので。怪我してなければ、とかは思ったことないです。試合をプレーするということは、勝ちに行くために戦わなくてはいけないということですし、それに怪我や腰痛は言い訳にならない。どんな状況であれ、戦うということ。それはその(オリンピックの)1週間で一番感じました。
ーー松山英樹選手も、たび重なる怪我で満身創痍になりながらも戦っていますもんね。
中島:ゴルファーにとって体に痛みがありながら戦うっていうのは当たり前のことであるなっていう風にまず思いましたし、その中でも戦わないといけないっていうことはかなり頭に入ってきたので、そこを一番考えました。
インタビュー後編はこちら
インタビュアー:塩畑大輔
撮影:野村知也
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