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2019年と2020年のお正月に放送された『石原さとみのすっぴん旅』というドキュメンタリー番組がある。旅人は石原のみ。スペインとギリシャを訪れる日々に密着したカメラは、日常を離れて羽を伸ばす石原の、プライベートな一面をうかがわせる瞬間もとらえていた。
この番組では石原自身が行き先を決め、スーツケースの中身や旅先での洋服選びを公開し、女性スタッフとざっくばらんな言葉遣いで語り合う。もちろん演出はあるが、「すっぴん」よりも「イメージ」が広く流布している石原の路線としては、やや攻めたスタイルだったと言える。
石原にとって旅は自分を見つめる時間でもある。20代前半の頃、仕事を休んで行ったニューヨークへの一人旅で、誰に会うか、何を食べるか、どの服を着るか、すべてを自分で決める経験をしたことから人生が楽しくなったという。「すっぴん旅」の中でも石原は、仕事への向き合い方や人生の展望について明かしていた。同行の女性スタッフから10年後はどうなっていたいかと問われ、一生かけて成し遂げたい「目的」から逆算し、目的をクリアするための「目標」設定、目標の達成に必要な「経験と過程」のプロセスに分けたピラミッドチャートを描きながら整然と語る。自らの思考を言語化する能力の高さと相手に伝える力。そのときに究極の目的として挙げたのは「人を励ませる人間になりたい」ということだった。大きな影響力を持つ女優業にはそれができる可能性がある。
2019年の初回放送時から5年。ちょうど半分の時間が経った今年、出産を経て初の主演映画『ミッシング』が公開される。
『犬猿』(18)や『空白』(21)などの𠮷田恵輔監督によるオリジナル作品だ。人間の本質を生々しく描いてきた𠮷田監督と石原の組み合わせは異色に思えるかもしれない。だが『ミッシング』への出演は、𠮷田監督の作品に惹かれた石原が、どんな役でもいいから参加したいと直談判したことから実現した。それを聞いたとき、一瞬の驚きとともに、『すっぴん旅』での姿をすぐに思い出した。あの人だったらそうするだろうなと思った。
言うまでもなく、石原さとみは誰もが知る国民的な存在である。朝ドラのヒロインやCMでお茶の間の顔として老若男女に親しまれ、そのファッションやメイクのセンスは同性からも大きな支持を集め、キラキラと輝く女性像を世間に提示してきた。すでに国内では俳優として確固たる人気とポジションを築いており、その事実は多くの人々が共有している。
しかし石原が初めて𠮷田監督にコンタクトをとった2017年、30代をむかえた石原は自分自身に焦りを募らせていた。その頃の石原は、映画『進撃の巨人』(15)『シン・ゴジラ』(16)と話題作への出演が相次ぎ、テレビの連続ドラマでも年に一本以上のペースで主演をつとめる日々。2017年の秋冬クールには『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』(NTV)、翌18年には『アンナチュラル』(TBS)が放送されているが、当時の心情をこんなふうに述懐する。
「それまでやらせていただいてきたお仕事も作品も楽しいし、自分に求められていることをお届けできるのも嬉しい。でもどこかで私自身が自分に飽きてしまっている感じがしていました。そして私が自分自身に対して“つまらない”と思っている部分は、おそらく世間からも同じように思われているんだろうなと。どうにかして変わらなきゃいけない、何かしなきゃいけないという思いがありました」
そんな石原にとって𠮷田監督の撮る映画は目の前に差した光だった。「生々しくて、キュンとくるけど、醜くて。ドキュメンタリーみたいだけど、エンタメ性もあって、すごく好きな作品だったんです」。とりわけ目を引かれたのは、『ヒメアノ~ル』(16)でシリアルキラーを演じ、それまで知られていたイメージを一新した森田剛の演技だ。藁をも掴む思いで、伝手を頼って𠮷田監督に会いに行き、「私を変えてください」と頼み込んだ。ところがこのとき𠮷田監督は首を縦に振らなかった。『ミッシング』の脚本が届いたのは3年後のことである。
『ミッシング』で石原が演じた沙織里は、ある日突然失踪した娘をひたすら捜し続ける。警察やマスコミに訴えても手がかりは見つからず、逆に世間の誹謗中傷に晒される。ただもう一度娘に会いたいだけなのに、何をすれば、どうしたらいいのか、答えはない。どんなに手を尽くしても帰ってくるかどうかもわからない。それでも希望を捨てることはできず、時には暴言を吐きながら、たとえ間違っているかもしれなくても、少しでもできることにぶつかっていく。
石原が演じてきた役柄の多くは、脚本やキャラクターの垣根を越えて、自分で考え、行動し、ものを言うヒロインである印象が強い。『シン・ゴジラ』で外交の前線に立つアメリカ大統領特使も、『Heaven?~ご苦楽レストラン~』(TBS)で曲者揃いの従業員たちを抱えるフランス料理店のオーナーも、『アンナチュラル』でチームの執刀医をつとめる法医解剖医も。これは特筆すべきことだと思う。
ちなみに石原は先の「すっぴん旅」で、10代の頃はラジオパーソナリティになりたかったと語っていた。夢は叶い、自身のラジオ番組を持つことはできたが、現実は「想像と違った」という。「(当時は)清純派で売ってたからさ(笑)」とユーモアを交えて振り返ったのは、本人の姿勢がそのままリスナーに伝わるメディアだからこそ、すごくかしこまった状態で形を整えて喋らざるを得なかった過去。ラジオが好きで理想が強すぎたかつての石原には苦い経験だった。自分の言葉で語りたい理想と、求められる像とのギャップによる挫折をかなり早い段階で味わうことになったが、そこから目標を設定し直して着実に結果を出してきたのは見事としか言いようがない。
『ミッシング』の撮影現場でとりわけ心をつかまれたのは、自分が「わからない」ことと向き合っている石原の姿だった。𠮷田監督の判断は全面的に信頼していたが、撮影でNGが出るとどうしてなのかわからない。OKが出てもその理由がわからない。それはいなくなった娘の行方を手探りで追う劇中の沙織里に重なって見えた。「感情が昂って気持ちの熱量が高いときほど、監督からは“ドラマチックすぎる”と言われて、表現を抑えるように求められることがあったんです。逆に本番で自分のお芝居が腑に落ちなかったときほどOKをもらえたりする。私にとってそういう体験は初めてだったので、ずっと正解がわからないまま混乱していました」
わからないことは怖い。年齢を重ねれば重ねるほどより怖くなる。加えて演技という仕事には正解がない。上手い下手といってもルールがあるわけではなく、作品や監督によって求められることも変わる。これといった基準のない中で他人に判断を委ね、OK/NGのジャッジを1カットごとにくだされるというのは、想像以上にはるかに過酷な生業だ。
にもかかわらず、石原はこれまで努力を積み重ねて築いてきたキャリアへの意地やプライドも捨て、なりふり構わずカメラの前に自分を投げ出していた。プライベートではあれだけ美容にストイックなのに、撮影中はあらゆる体のケアをストップし、美から離れることも厭わなかった。何よりわかったふりをしない。疑問に思ったことはとことん監督にぶつけるし、そこで納得できなくても無理に結論を出さずに踏ん張る。𠮷田監督やスタッフ、共演者たちもまた、石原の姿勢に巻き込まれていった。その闘いには同じ人間として大きな勇気をもらった。文字通り、励まされた。
石原は『ミッシング』の現場で「わからないことがストレスだった」と吐露している。「私自身が子供を生んだからこそ、沙織里の気持ちはものすごくわかるんです。でもそれをどう表現すればいいかわからない。𠮷田監督の求めるものを返せているのか、不安になることが多々ありました。要望に応えられていないのかなと思うと申し訳ない気持ちになる。自分で望んで来た場所だったんですけど、すごく鍛えられて成長させてもらったし、お金を払ってでもその時間を買いたいぐらいに得るものがたくさんあって。自分が崩壊しそうなぐらい苦しかったけれど、泣けてくるぐらい幸せでした」
その「わからなさ」とは折り合いをつけられたのだろうか。「人生は意外とわからないことがいっぱいあって、むしろわからないほうが自然なのではないかと思えるようになってきたんです。今思えばですけど、私がわからないまま現場に居続けたことが、『ミッシング』にとっては正解だったのかなと。それが自分なりの落としどころです」
そもそも石原のデビュー作は巨匠・東陽一監督の『わたしのグランパ』(03)である。しかし石原にとって映画を観ることは長らく「勉強だと思っていたから苦しかった」。それが最近ではプライベートでも映画を観るようになった。「映画を観ることと撮影すること、両方の楽しさと面白さを知ることができたんです。これからもっと映画をやりたいし、𠮷田作品にも絶対にまた出たい。そう思えていることに感謝しています」
『ミッシング』の撮影後、石原は現場を共にしたスタッフ陣から「次が大変だよ」と激励されたという。それだけみんなが自分たちの作り上げた『ミッシング』での石原さとみに自信を持っているゆえのエールだろう。だからこそ、石原には新しい不安が生まれている。次の自分は今の自分を超えられるのかと。
でも、今の石原は、『ミッシング』で得た経験という宝物を持っている。「この宝箱を開けて誰かに見せないと埃をかぶってしまう。どのタイミングで、誰に向けて、 どういうふうに開けるのか。それがすごく大切だとわかっているからこそ本当に悩んでいます。宝箱の中身を見せられる機会に早く出会いたいなと思います」
石原は今の自分があることを「運とか縁でしかない」と言った。だがそれを自ら引き寄せているのは石原自身でもある。実人生で母親となり、自分よりも守るべきものができたタイミングでこの挑戦をやり遂げた彼女ならば、もっと先に行けるはずだ。宝箱が開くのは来年かもしれないし、数年後かもしれない。いつかはわからないけれど、きっとできると信じている。
5月17日(金)全国公開/ワーナー・ブラザース映画
石原さとみ、中村倫也、青木崇高、森優作、小野花梨、細川岳、柳憂怜、美保純、ほか
<あらすじ>
とある街で起きた幼女の失踪事件し、あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。
娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。
そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていくが、「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。
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