Hi-Fi Un!corn『FANTASIA』インタビュー――この1年で大きく成長した5人が完成させた『FANTASIA』
『THE IDOL BAND︓BOY'S BATTLE』で⾒事優勝を果たしたHi-Fi Un!corn(ハイ・ファイ・ユニコーン)が待望の1st ALBUM『FANTASIA』をリリース。そんな彼らの魅力に迫ります!
7月13日から1年間にわたって開催される、『Augusta Camp in U-NEXT ~Favorite Songs~』。出演アーティストが、「今、歌いたい・届けたい」と思う楽曲をお届けするライブシリーズのVol.1に杏子さんが出演されます。杏子さんが、「今、歌いたい・届けたい」歌は、どんな歌なのでしょうか?音楽との出会いや影響を受けたアーティスト、最近のお気に入りまで、多岐にわたるカルチャー遍歴を語っていただきつつ、現在の杏子さんにつながるカルチャーを深掘りしました。ソロデビュー20周年を迎えた杏子さんが影響を受けたのは、果たしてどんなカルチャーなのか。その遍歴を、履歴書のように紐解いていきます。
──現在の杏子さんを形作っているものの中には、音楽をはじめとした様々なカルチャーがあると思います。この企画では、それらを履歴書のように順を追って伺っていければと思っています。まず、杏子さんが一番最初に刺激を受けたカルチャーは、いつどんなものだったんでしょうか?
杏子:私の歴史絵巻を辿れば、とんでもないことになりますけど(笑)。まずは、中学のときに叔父からガットギターをもらったことが、音楽に興味を持ち始めたきっかけですね。そこから、せっかくもらったならって、雑誌の「明星」や「平凡」の付録だった歌本を見ながら、当時全盛だったフォークソングのコードを覚えて弾いていました。吉田拓郎さんや山崎ハコさんの曲です。コードを弾きながら、ちょっと歌ってみたりもして。そこから、ラジオを聴くようになっていった感じです。
──ラジオを聴くようになったのは、どんなきっかけからだったんですか?
杏子:高校の入学試験に向け受験勉強をするようになって、深夜放送を聴くようになったのがきっかけです。ちょうどビートルズが解散してメンバーがソロで活動を始めた頃で、エルトン・ジョンがヒットソングを連発していた時期でした。そんな感じで音楽を聴くようになったけど、お金がないのでレコードは滅多に買えず、聴きたいレコードを持っている友だちから借りたりしていましたね。
──当時、音楽以外で刺激をもらっていたものはありますか?
杏子:当時の高校生女子はだいたい通る道なんですけど、太宰治や坂口安吾に酔いしれていました。今考えると、作品じゃなくて自分に酔っていたのかもしれないですけど(笑)。何も苦しいことなんてないくせに「私はつらいんだ……」って、悩みたがりの時期だったんですよね、高校時代は。同じ時期に、ソ連から亡命した小説家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンが書いた「ガン病棟」という作品を読んだり。兄が読んでいて、ちょっと背伸びしたくて読んで、大人になったつもりになっていましたね(笑)。音楽は、高校の終わりあたりにキング・クリムゾンやELPを好きになって。
──太宰治や坂口安吾について、「当時の高校生女子はだいたい通る道」とおっしゃていましたが。
杏子:私の周りの子たちは、みんな読んでましたね。太宰は授業で『斜陽』を勉強したり、タイトルに憧れて『人間失格』も読んだけど、私が太宰で面白いと思ったのは遺作の『グッド・バイ』です。この人は、こんなに飄々とした面白いことを書くんだって。あと、『グッド・バイ』はリズム感がいいんですよね。文章の中にリズムがある。それで好きになりました。坂口安吾は、『堕落論』の中で太宰の死のことを書いていて、それが面白かった。詩だと、萩原朔太郎が好きでした。そういう文学作品をみんなで読んで、みんなで悩んで(笑)。
──高校を卒業してからは、どんなものに影響を受けていたんでしょうか?
杏子:大学1、2年は女子大の寮だったので、閉塞感が強かったんですよ。だから外に出たいっていう気持ちが大きくて、ボーイフレンドが美大にいたので、そこに遊びに行ったりしていました。その美大に遊びに行ったときに、重音楽クラブっていう、軽音楽クラブに対抗してハードロックとかを演奏するクラブがセッションをしていたんです。そこで、たまたま風邪を引いていた声で曲は知らないけどシャウトしていたら、「いいね!」って言われて、その年の学園祭で歌いました。そのときはナザレスやボブ・マーリーの曲をカバーしたんですけど、ライブってなんて楽しいんだろうって思ったんです。これが、私のミュージシャンとしての原点だと思います。
──ライブのどんなところに楽しさを感じたんでしょうか?
杏子:ライブって、エネルギーの対流があるんだなって感じたんです。自分たちが歌いかけることでお客さんが呼応して、それによって自分の新しい扉も開けてもらえる。なんか不思議な、魔法がかかっているような時間でした。分厚いメガネをかけて地味に生きていた自分が、何かに変身できた感覚があって、何か違うものになれる魔法がかかる瞬間だったなと思います。
──そんなライブ体験が、ミュージシャンとしての原点なんですね。
杏子:当時は、プロになりたいとは思っていなかったし、なれるとも思っていませんでした。でも、ライブは楽しいから大学を卒業してからも続けたい。だから、午後5時に帰れる会社に就職しました。その時間に帰れたら、ライブもできるので。
──ボーカリストとして、杏子さんに影響を与えた人はいるんでしょうか?
杏子:唯一、こういうふうになりたいと思ったのは、ジャニス・ジョプリンかな。出会ったのは、大学で学祭に出る前です。ラジオから「Move Over」が流れてきたんですけど、あの声を聴いたときは衝撃的でしたね。それから、学祭が終わったぐらいに、大学の先輩が『ローズ』っていう映画があるって、映画館に連れていってくれて。主人公のローズはジャニスがモデルなんですけど、ローズを演じたペッド・ミドラーの歌が本当にすごくて、その歌にも衝撃を受けましたね。
──就職後も音楽活動を続けつつ、プロになって現在に至るわけですが、プロになってから刺激を受けたのは?
杏子:サラ・ブライトマンかな。彼女が『ラ・ルーナ』というアルバムを出したぐらいのときに、友だちから日本武道館ライブに誘われたんです。歌がすごくうまい方だっていうのは知っていたんですけど、彼女はミュージカル出身なので、観客を楽しませる意識が高くて、何度も衣装を替えたり、アンコールでは宙吊りになったり、なんて楽しいんだろうと思いました。歌がうまいのは当たり前で、その上で魅せる。同じような魅力は、マドンナのライブにも感じます。どうしてもマドンナのライブが見たくて、デトロイトまで弾丸で見に行ったこともありました。
──杏子さんも、ライブでいろんな衣装を見せてくれます。
杏子:着替えすぎて、ライブのスタッフさんに怒られたこともありますけどね(笑)。今は、ステージ上でちょっと何かを羽織ったり抜いだりして、衣装の印象を変えていますね。
──ライブでの杏子さんは、ずっと動いている印象もあります。
杏子:ミック・ジャガーが端から端まで走ってるしなって。まだチャーリー・ワッツが生きている頃、スコットランドにローリング・ストーンズのライブを見に行ったんですけど、ミックはやっぱり端から端まで走ってて。あと、ミックもちょいちょい着替えるんですよね。そういうの、大事だなと思います。
──プロになってから、音楽以外のカルチャーとの出会いで大きかったのは?
杏子:江戸中期の画家の伊藤若冲と長沢芦雪ですね。最初に出会ったのは、伊藤若冲です。友だちと京都に行ったとき、京都国立博物館で若冲の没後200年の展覧会を開催していたんですけど、そこで出会いました。最初は若冲(じゃくちゅう)という名前も読めなかったし、現代アートかと思ったんです。そしたら江戸中期の画家で、衝撃を受けましたね。そこから芦雪も好きになって、和歌山県に所蔵されている絵を見に行ったり。芦雪は、掛け軸も買いました。
──若冲や芦雪の絵から、杏子さんは何を感じ取っているんでしょう?
杏子:ドキドキするっていうか。今までは、ストーンズやマドンナやサラのライブを見てドキドキしていたけど、二次元の作品を見てこんなにドキドキするんだっていう。
──ドキドキすることは、表現者にとってすごくいいことですよね。
杏子:それ以外では、司修さん。司さんは版画家なんですけど、小説や童話も書くんですよ。その中に、図書館でたまたま見つけた『青猫』という幻想童話があるんですけど、その作品にインスパイアされて歌詞を書いたこともあります。純愛のストーリーなんですけど、結末がめちゃくちゃ残酷なんです。その『青猫』をNHKのラジオ番組で一部抜粋して朗読したら、たまたま司さんが聴いてくださっていて、お手紙をいただいたこともありました。
──当時は、絵本をよく読んでいたんですか?
杏子:絵本っていろんなものが要約されているし、絵本を読もうと思っていた時期があったんです。最初はボイトレの先生が『おおきな木』という絵本をオススメしてくれて、そこからはいろんな絵本を借りて読みました。絵本の『人魚姫』からインスパイアされて、歌詞を書いたこともあります。『人魚姫』は、荒俣宏さんが訳している『人魚姫』が一番好きですね。絵本をよく読んでいたのは、3rdアルバムの『Dear Me』を作ったときかな。いろいろと悩んでいた時期でした。
──悩んでいた時期に、絵本に癒されたり、救われたり?
杏子:そうですね。悩んでいるときは、泣くのが一番です。カタルシスじゃないけど、泣くという肉体的な作業をして浄化していくというか。心を触ることはできないですからね。宇野千代先生が言ってました。先生は、失恋したら転げ回って泣くんですって。で、翌朝はお化粧して街を歩くのって。私も、泣くと少し気持ちの中が整理できるから、それは今でもしますね。というか、子どもの頃からです。幼稚園のとき、『子鹿物語』というアメリカの開拓時代の切ない物語のソノシートを聴いて、エンエン泣いていました。当時の私は泣きたいときに、『子鹿物語』を聴いていたんです。泣いてから、遊びに行く。だから、泣いてすっきりすることは、私の習性ですね(笑)。
──ここまでのお話を踏まえても、杏子さんはいろんなカルチャーに触れて今に至っていますが、ごく最近にフォーカスすると?
杏子:映画はくわしくないけど、見るようにしているんですよ。最近は、『怪物』が良かった!深い!ドラマーのあらきゆうこさんと見たんですけど、彼女とはよく映画や舞台を一緒に見るんです。今度、「スクール・オブ・ロック」の舞台を見に行こうかって話をしています。最近見た舞台では、ジャンポール・ゴルチエの半生を描いた「ファッション・フリーク・ショー」がすごかったですね。ミュージカルのような、ファッションショーのような、サーカスのような。すべてを癒合させたような作品で、すごかったです。あとは、WBCで優勝した侍ジャパンのドキュメンタリー(『憧れを超えた侍たち 世界一への記録』)ですね。思いがけないところで泣きました(笑)。
──杏子さんにとっては、同じオフィスオーガスタに所属するアーティストのみなさんからも刺激を受けていると思います。
杏子:私が大好きな、かつ尊敬したくなるアーティストがたくさんいてくれて良かったなと思います。去年の「Augusta Camp」では、私的にはソロデビュー30周年だったから、勝手に全員のステージに乗り込んでいったんです。コーラスしたり、デュエットしたり。みんなの曲は、聴いているぶんには「いい曲だなー。すごいなー」って思うんです。でも、いざ歌うとなって向き合うと、本当にむずかしい。秦(基博)の「スミレ」もそうだし、スキマスイッチの曲もそうだし、やま(山崎まさよし)の歌もそう。もう、本当にみんなの曲はむずかしかったです。勉強になりました。
──7月13日から1年間にわたり、オフィスオーガスタとU-NEXTがタッグを組んだライブシリーズ『Augusta Camp in U-NEXT ~Favorite Songs~』がスタートします。アーティストが「今、歌いたい・届けたい」と思う楽曲をお届けするライブシリーズになりますが、そのVol.1に杏子さんと浜端ヨウヘイさん、松室政哉さんが出演、山崎まさよしさんもゲスト出演されます。
杏子:選曲テーマのひとつが「ドラマの主題歌」です。私から提案したんですけど、前クールで見ていたドラマの挿入歌を聴いて、やっぱりこの曲いいよね、この曲を歌いたいなーって思ったのがきっかけです。
──最後に、杏子さんが「今、歌いたい・届けたい」と思う歌を教えてください。
杏子:最近は、邦楽の進化っぷりがすごいなと思っているんですよ。言葉数が多くてもメロディの波を崩さない。Aimerさんもすごいし、ちゃんみなさんもすごいし、10-FEETの「第ゼロ感」もかっこいい。森ブラザーズ、ワンオクのお兄ちゃんもマイファスの弟ちゃんも、素晴らしく良き声で歌がうまいですよね。そういう音楽に刺激を受けながら、最新アルバムの「VIOLET」では、そういった音楽に近いことにも挑戦しています。トライしては落ち込んで、トライしては落ち込んでですけど、今また新しい扉を開けたいなと思っています。
(プロフィール)
杏子
アマチュアでのバンド活動を経たあと,’83年よりBARBEE BOYSにボーカルとして加入。「チャンス到来」「女ぎつねon the Run」「目を閉じておいでよ」など、数々のヒットを記録した。’92年からは、ソロアーティストとしての活動を本格的に開始し、活発な音楽活動を展開。以降は19枚のシングル、12枚のオリジナルアルバム、4枚のベストアルバムをリリースしている。最新作は、’21年4月にリリースされたアルバム『VIOLET』。映画『海猿』や『ヘルドッグス』などに出演し、女優としても活動している。
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