この年末、木村拓哉主演の人気ドラマ『グランメゾン東京』が5年ぶりにスペシャルドラマとして復活!さらに、劇場版『グランメゾン・パリ』も引き続き公開されて大きな話題に。
この「グランメゾン プロジェクト」の一環として、TBSで放送された木村主演の名作ドラマの数々が配信中だ。
常盤貴子との共演でカリスマ美容師と車椅子の女性との純愛をつづった『ビューティフルライフ~ふたりでいた日々~』(00年)。ANAの全面協力で新人パイロットの恋と成長を紡いだ『GOOD LUCK!!』(03年)。超豪華キャスティングで若き社長の葛藤を描いた『華麗なる一族』(07年)。ダイナミックな映像で極限の地での人と犬とのサバイバルを追った『南極大陸』(11年)。そしてアメリカ帰りの信念ある外科医とその周囲の人間模様がスリリングな『A LIFE ~愛しき人~』(17年)。
これらのタイトルを制作年の順番で並べるだけでも、「時代を彩った名作の数々」などというありふれた惹句を使いたくなってしまうのは、ライターの悪いクセ。汗。
だが、それはそのとおりなのだから仕方がない。いずれも観る者に強烈な印象を残したヒット作であることは間違いなし、なのである。
なぜ、木村拓哉のドラマはヒットするのか?
彼自身の放つカリスマ的なスター性はもちろんその理由のひとつなのだが、それだけではないはず。日本の連続ドラマでは平均的な“1回1時間弱を平均10回”というパッケージを通して観続ける人がいてこそのヒットなのだから、ただ単にファン多いからという理由だけでは片付けられない。
木村拓哉という“俳優”のスゴイところは、熱のある木村ファン、ドラマファン以外の、いわゆる一般視聴者の心を掴んで離さないところだろう。「彼が出るなら観てみたい!」という支持層が、おそらくすさまじく多い。
では、なぜ彼の出演作は「観てみたい!」と思われるのか?
その秘密は、彼が出ている作品を観る時の圧倒的な没入感にあるのではないか。例えば、こういうレビューを書く時、ついつい「このシーンのお芝居が」「このセリフの言い方が」というようにポイントを押さえて作品を観てしまうものなのだが、木村の作品はそれが難しい。
彼の作品を観ていると、ついついその作品世界に没入してしまい、レビューでは必須の「このシーン」「このお芝居」をクローズアップしてあれこれ考える、ということを忘れてしまうのだ。というか、そうやってシーンやお芝居を切り取ること自体が野暮に思えてしまう。それほどに、彼自身がそのキャラクターとしてその作品の中で「確かに生きている」と思わせられてしまうのである。
彼の作品は、“美容師”だとか“パイロット”だとか“外科医”だとか“シェフ”だとか、その属性が注目されがちなのであるが(そして注目したくなるほど、どのコスチュームも似合っているのだが)、きっとそこに付随するいわゆる役作りというものは土台中の土台。
「そこを用意周到に」というよりも、彼が現場に立つための必要条件であるだけで、核になるところはそこではない。
そうではなく、きっと彼にとっては、その作品の中で「確かに生きる」ことの方がはるかに大事。「お芝居で何者かになる」という意識は、おそらくは彼の中にはない。ただただ、その作品世界の中で「生きる」ことをまっとうしているだけ。
そこで生まれるシームレスな没入感は、きっと共演者にも現場で共有される。だからこそ、作品全体にも生命力が宿る。
そりゃあもう、観てる側にだって、その生命の息吹がヒシヒシと伝わるわけである。いつの間にか観る側の視点は作品世界と一体化し、そのキャラクターの人生を追体験し、ズブズブと没入してしまうのである。
役それぞれの人生を木村拓哉という肉体を使って見事に体現する。
そんな彼だからこそ生み出すことができる、観る者と作品世界とのシームレスワールド。
ぜひ、何度でも堪能してほしい!
腕は立つが人気はイマイチの美容師・沖島柊二と、難病で車椅子の生活を送りながらも前向きに生きる司書・町田杏子との恋をつづるラブストーリー。世にカリスマ美容師ブームを巻き起こし、“バリアフリー”という言葉を一般化させるなど、多方面で社会現象を巻き起こした。
『愛していると言ってくれ』をはじめ、連ドラに出突っ張りだった常盤貴子との共演で、かつ脚本はその『愛していると言ってくれ』や木村自身の大ブレイク作『ロングバケーション』を手掛けた北川悦吏子が担当。もう、この顔ぶれだけでも当時の注目度の高さはすさまじいもの。それを反映して初回から31.8%と高視聴率を叩き出した。
しかし、このドラマの本当のスゴさは、最終回がそれを約10%も上回る41.3%という驚異的な視聴率だったこと。回を追うごとにドラマにぐんぐん引き込まれ、目が離せなくなった人が増えたということだ。
本作の没入ポイントは、なんといっても、“恋愛の神様”と称された脚本家・北川悦吏子による憧れ要素の高いセリフの数々で紡ぎ出される恋愛描写。
まずは出会いのシーンからしてふるっている。背景は、キラキラの大都会。ヤマハ・TW200を飛ばす木村扮する柊二の登場シーンはもちろんカッコいい!しかし、カッコいいだけじゃないのが木村の芝居。ここで柊二は運転しながらあくびを一つする。この人間味のある仕草一つで、観る者は無意識のうちにドラマの世界をグッと身近なものに感じてしまう。
すると、常磐扮する杏子が赤いヴィータを走らせてきて、車の窓から手を出した、出さないで、柊二との間に言い争いが起こる。柊二は、彼を無視して走り去った杏子を悔しく見送るが、なんと偶然に行き先が同じ!杏子が司書として働く図書館の駐車場で再会するのだ。
そして、そこで初めて、柊二は元気そのものに見えた杏子が車椅子であることを知る。このときの柊二の気まずさと驚きがないまぜになった表情の素晴らしさよ…。
最初は反発し合いながらも、徐々に惹かれ合っていく2人。杏子の髪をカットする柊二から始まり、トイレの前のキスシーンや観覧車デート、思い出の湖での夜の会話、夜の病室での添い寝、杏子にメイクをしてあげる柊二…。名場面は枚挙にいとまがない。
そういうドラマチックなシーンが胸に迫るのは、そこへ至るまでの主人公たち心情がまるで我がことのように観る者の心に降り積もっていくから。
元カノの真弓(原千晶)とマンション前で鉢合わせして、帰っていく恭子を見送る柊二の今にも泣き出しそうな表情も、ショーを観に来てくれた杏子を見つけて嬉しさを隠せない表情も、1ミリも作り物の感情に見えないところがスゴイ。
一方で、常盤貴子もまた、そんな木村とガッツリと組み合い、しっかり杏子としてドラマの中で生きている。
いつしか観る者の気持ちは柊二と杏子と一体化して、その恋に一喜一憂し、ラストへ向けての切なすぎる展開に涙を絞られてしまうのだ。
「高さ100センチから見る世界は綺麗だったよ。あなたに出会って、私の人生は、星屑をまいたように輝いたんだ」
きっと、このドラマを見る前とあとでは、このフレーズの心への響き方は全く変わっているはず。柊二と杏子の恋が、まるで自分の人生に起こった出来事のように感じてしまうから…。
筆者は未だに号泣である。
ANAの全面協力で、木村が制服姿も凛々しくパイロット役を演じたこのドラマ。こちらも航空業界に就職希望者が殺到する社会現象を巻き起こす大ヒットを記録し、ANAの株価も急上昇したというからさすがである。街の若者の間では、木村が演じた主人公・新海元の口グセ、「ぶっちゃけ」も大流行!
本作の魅力は、木村演じる新米パイロット、新海が一人前になっていくまでの成長物語に、柴咲コウ扮する飛行機にトラウマのある女性整備士・緒川歩実とが反発し合いながらも惹かれ合っていくドキドキのラブストーリーを掛け合わせた、ハイブリッドなストーリー展開だろう。木村とのタッグも多い脚本家・井上由美子の才が光る。
さらに本物の飛行機や飛行場のシーンがバンバン出てくる映像もダイナミックで、観る者の心を踊らせた。
「木村拓哉がパイロット!」ということで、そのコスチュームのカッコよさに注目が集まったが、フタを開けてみると彼が演じた新海は、お世辞にもエリートとはいいがたい、どちらかといえば落ちこぼれのキャラクター。
パイロット試験にも最後まで受からず、先輩パイロット・水島(岩城滉一)の急病で急遽、着陸を任されてもスムーズなランディングができないという体たらく。
だから、堤真一が演じる監査官の香田一樹は、当初は未熟な新海に冷たく当たり、また、歩実も最初は彼のことを「下手くそ」となじり、突っぱねる。
それでも、次第に観る者の目に彼がカッコよく映るようになるのは、「飛行機が好き」という気持ちで全力で職務に突っ走る、不器用でも一生懸命なその姿だ。「カッコいい」という一言で片付けられがちな木村の演技ではあるが、その奥底にある人間的な魅力がにじみ出るからこそのカッコよさなのである。
もちろん、香田は成長していく彼を次第に一人前のパイロットとして認めるようになり、歩実は一人の男性としても信頼感を抱き、惹かれていく。
キラキラ感満載で描かれる空港のシーンとは一転、昔ながらの釣り船屋を営む実家のシーンも見どころ。頑固な父・良治を演じた故・いかりや長介との父子のシーンでは、反発し合いながらも通じ合う親子の情を繊細に表現して、しっかり心を掴んでくる。
ラスト、最大のピンチで新海がパイロットを続けられなくなる危機に直面した時は、そんな新海=木村の“一生懸命”の集大成。
挫折に直面した人間の弱さをしっかりと伝え、そして、そこを乗り越えるまでの心理をシームレスに体現しているからこそ、観終えた時、晴れやかな空に飛び立ったような気持ちになれる。
原作は、1973年刊行の山崎豊子による同名ベストセラー小説。原作では阪神銀行を核とする万俵財閥の総帥・万俵大介が主人公だが、この2007年の木村主演による連ドラ版では、大介の長男・鉄平が主人公に変更されている。
今回が初配信の本作。舞台は、高度経済成長期の真っ只中である1960年代の神戸。鉄平は、万俵財閥の傘下にある阪神特殊製鋼の専務として、志高く働いていた。
木村の主演作であれば、その頑張りが周囲の人の心を動かして大団円、という展開を誰もが期待するだろう。
しかし、政財界を舞台にしたこの重厚なヒューマンドラマは、そんな展開を許さない。なぜならば、この作品が悲劇だからだ。
悲劇とは、不条理を描くものである。
だから、理想に燃えて、高炉建設に奔走する鉄平の前には、その足を引っ張る人物が現れなくてはならない。その人物とは、鉄平の父・大介!演じるのは、大御所スターの北大路欣也。
この親子関係がまた、どろどろでネチネチで本当に観ていてしんどくなる。
大介は、鉄平を妻・寧子(原田美枝子)と自身の父で鉄平の祖父・敬介との不義の子だと信じ込み、とにかく鉄平のやることなすことの邪魔をするのだ。
『華麗なる一族』というタイトルのとおり、この作品は経済ドラマの名を借りた、家族の確執の物語なのである。
手段を選ばない企業間競争の苛烈さに加えて、どろどろの家庭環境の中での親との確執が鉄平を襲う…。気持ちだけではどうにもならず、頑張っても頑張っても、どんどん行き詰まっていく主人公の痛々しさ。
とはいえ、そこは木村が演じるキャラクターである。鉄平もそう簡単にはくじけない。そうやって諦めずに前を向くキャラクターが木村にハマればハマるほど、その不条理のしんどさが観る者を直撃する。こんなに頑張ってるのに…と。
しかも、高炉の完成まであとひと息というところで、予期せぬ最大の不運が彼を襲う。
このドラマは悲劇である。
それゆえに、この真っ直ぐで一生懸命な鉄平という男の人生は、徹底的な挫折という不条理な結末で終幕していくことになる。
雪の丹波篠山で猟銃を抱えて歩く鉄平…。そのラストに取る彼の行動は決まっている。
実は、木村自身は「全く共感できなかった」という鉄平の選んだ結末。その表情からは、絶望による悲壮感というよりも決意と混乱という相反した心境が伝わってくる。
ある決意を持って彼はこの末路を選んだ。しかし、「なぜこうなった?」という疑問も拭えない。
こんな不条理があるものか!
視聴者の盛大なる心の叫びは、鉄平の心の叫びとここでぴったりと重なり合う。
この結末を受け入れられない木村拓哉という人物が、この結末を選ばざるを得ない鉄平を演じたからこそ、その声はずしんとダイレクトに観る者の心を突き刺してくる。
北村泰一の『南極越冬隊タロジロの真実』を原案に、TBS開局60周年記念番組として制作された大作。
舞台は戦後の復興が進む昭和30年代。日本は南極観測に参加を決めるも、敗戦国ゆえに不利な条件を突きつけられる。そんな中、南極大陸への上陸を目指して、奔走する男がいた。
それが本作で木村が演じる倉持岳志。南極観測に情熱をかける彼が、第一越冬隊の副隊長として隊をまとめていく姿が前半の見どころだ。
自身の信念を持って自分のやりたいことに情熱をかける主人公・倉持の全力の一生懸命さは、まさに木村にハマリ役。
第1話。南極観測船・宗谷の作業事故で出航が危ぶまれた時、倉持は訴える。
「この夢は、ニッポンを変える力を持ってるんです!」
このドラマが放送されたのは2011年10月クール。この年の3月に東日本大震災が起こっている。倉持=木村が心の底から訴えたこの言葉は、震災で意気消沈していた当時の多くの日本人にも力強く響いたはずだ。
それだけの説得力があるのは、倉持=木村の日本を思う気持ちがまさにシームレスに現実に生きる視聴者の想いとつながっていたから。
第1話の最後、ついに宗谷は南極大陸へ出航することに。その甲板で多くの見送りの旗を前で倉持=木村が思いを語るシーンは、その真骨頂かもしれない。
「この宗谷にはたくさんの宝物が積まれています。それは日本人の誇りです。そして、日本の未来を担う子どもたちの夢です」
そして、支えてくれた人への感謝の言葉を告げたあとに言うのだ。
「まだ見ぬ大陸にニッポンの旗を立ててきます!」
長回しのワンカットで滔々と語る彼の言葉が終わった途端、画面に映るモブの一人になったかのように思わず拍手してしまいそうになる。
この長いセリフを、セリフとしてでなく倉持の言葉で語っているからこそ、その熱量にグイグイ引き込まれてしまう。実は、こういう芝居はなかなか見れるものではない。
第6話、第一次越冬隊の任務も残りわずかという時、隊員たちの前に語るシーンもそうだ。目に涙をためて語る言葉の説得力よ!
ドラマの後半戦は、この作品の第二の主役・樺太犬たちに対する倉持の姿も心を打つ要素。自身も犬好きの木村だが、その要素がこれでもかと役に融合されていて、それがゆえに別れのシーンは見ていられないほどの切なさ。
多大な国家予算と人命がかかった局面で「たかが犬」とは切り捨てられないその心情に、観る者もいつしか引きずり込まれてしまう。少なくとも、筆者はこの「たかが犬」という一文を使うことがためらわれてしまうほど、倉持の気持ちと同化してしまった。
また、キラキラした犬たちの目が、その切なさを更に増幅させるのである。そんな犬たちの名演技がまた、木村のシームレスな芝居を引っ張ったことも想像にかたくない。犬と木村の名場面もぜひ、今回の初配信で再び!
意外にも木村が初めて医師役を演じたことで大きな話題になったこのドラマ。彼が演じたのは、アメリカ帰りの凄腕外科医・沖田一光。
彼は、浅野忠信扮する幼なじみで親友の医師・壇上壮大(まさお)の頼みにより、竹内結子が演じる壮大の妻にして自身の元恋人・深冬(みふゆ)の脳腫瘍の手術を任されることに…。沖田は、愛する人の命を救うことができるのか?というのがストーリーの軸になっている。
なのだが、単なる三角関係のラブストーリーだけではないところが本作のミソ。それらに病院経営を巡るさまざまな人々の思惑が絡み、そんな中で沖田は懸命に深冬をはじめとする患者たちの命を救うためにだけに行動する。
この作品で木村が体現したのは、医療事故の裁判で突っ込まれかねない「大丈夫」という言葉を、常にきっぱり言い切る医師像。
自分の信じる道に情熱的で真っ直ぐなところはいつもの木村のキャラクターなのだが、沖田の特徴は慎重さと冷静さ。
ミッチーこと及川光博扮する壮大派閥の羽村医師に「あんな風に熱くなるな」と言われるくらい、内面は熱い男ではある。
だが、「俺の大丈夫には根拠がある」と言い切る沖田は、その言葉の影で多くの努力を惜しまない。緻密に研究を重ね、感情論ではなく医学の論拠を重ねて、猪突猛進に進むための道をきっちり作ってから走り出す。
そして、そんな役柄を演じるための土台作りとして、木村自身もクランクイン時には外科医の糸結びを完璧にものにしていたというエピソードも有名だ。
沖田の信念は、第3話で深冬に「なんのために、この病院に戻ってきてくれたの?」と聞かれて、深冬の肩を掴んで自身の目の前に連れてきてセリフに集約されている。
「目の前の患者を救うためだ」
「こんな医者に手術してもらいたい!」と思った人も多いはず!
その信頼できる医師像が、松山ケンイチ演じる若手医師・井川や木村文乃扮するオペナース・柴田ら、周囲の人間たちの心を動かしていく。と同時に、観ている者も沖田というキャラクターにどんどん魅了されていく。
一方で、医師としては冷静にことを行う沖田も、深冬のこととなると声を荒げて感情的になる。そんな人間らしさもまた、本作の没入ポイント。
元カノ・深冬、そして親友にしてライバルの壮大への複雑な思いが如実に伝わる沖田の姿に、ますますドラマの世界に引き込まれてしまう。
東京都医師会の後援により、実際の医師が監修を行い、本物の医療機関でもロケを敢行。リアルな背景がドラマ説得力をさらに高めている。
映画もドラマも名作だらけの木村拓哉さん出演作はこちら。
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