主将・高橋はな、10番・塩越柚歩が振り返る初戦の勝利。次節の韓国戦でも「気持ちからぶつかっていく姿を」|E-1サッカー選手権2025
E-1サッカー選手権2025の初陣となったチャイニーズ・タイペイ戦を、4-0の勝利で飾った女子日本代表。試合翌日の7月10日、チームを牽引するキャプテンの高橋はなと、10番を背負う塩越柚歩が、U-NEXT独占インタビューに応じてくれた。初戦の勝利とゴールシーン、現在のチームの雰囲気、そして次節“日韓戦”への意気込みを語る。
愛するクラブを離れる決断を経て、復活の狼煙を上げたシーズンだった。
アーセナルアカデミーが生んだ最高傑作の一人、エミール・スミス=ロウは2024年の夏、新天地を求めてフラムへと移籍。今季はプレミアリーグで34試合に出場し、6ゴール3アシストの成績を収めた。
「キャリアの残りをベンチで過ごすわけにはいかない」 。その覚悟の裏にあった想い、そして「本物の家族のよう」と語る新天地での活躍について、胸の内を自身の言葉で明かしてくれた。
──フラムでのプレーについて、ご自身はどのような印象を持っていますか?
スミス=ロウ:素晴らしいですよ。本格的にプレーする最初のシーズンなので、もちろん浮き沈みはありました。できるだけ一貫性を保とうと努力してきましたが、時には難しいこともあった。でも全体的に見れば、長年いたアーセナルを離れて、今の自分にはかなり満足しています。
──オールド・トラッフォードでのフラムデビュー戦のことは覚えていますか?
スミス=ロウ:はい。もちろん残念な結果で、試合には負けてしまいました。でも、僕にとってこの歴史的なスタジアムでデビューできたことは素晴らしかったです。ポルトガルでのツアーから帰ってきてすぐの試合でしたが、すぐに我が家のように感じられました。素晴らしい瞬間でしたね。
──その後のホームデビューとなったレスター戦では、見事にゴールを決めました。
スミス=ロウ:そうですね。2試合目がホームだったことも助けになりましたし、おっしゃるとおり、ゴールも決められました。だから、これ以上ないくらい幸せでした。ファンとつながるための良い機会にもなったと思います。
──素晴らしいスタートでしたね。
スミス=ロウ:はい、僕にとってはこれ以上ないスタートでした。チームメイトやスタッフたちが、僕がすんなりと溶け込めるように助けてくれたんです。他のクラブにとても長くいたので、かなり難しいだろうと思っていたのですが、すぐに我が家のように感じられましたね。
──特に感謝しているチームメイトはいますか?アレックス・イウォビ選手だと聞いていますが。
スミス=ロウ:たしかに、アレックスはその一人ですね。もちろんカルヴァン(・バッシー)も。ほかにも、キャラクターの濃い選手がたくさんいます。
そして監督も移籍する前に話をしてくれて、僕が馴染むのをすごく助けてくれました。
──マルコ・シウバ監督の名前が出ましたが、インタビューで彼の名前が出るといつも笑顔になりますね。何か特別な理由があるのでしょうか?
スミス=ロウ:そう思います。僕たちは本当に良い関係ですよ。監督は僕に多くを求め、厳しく接してくれます。でもそれは、僕に活躍してほしいからだと感じられる。僕が改善すべき点をはっきり教えてくれますし、自信も与えてくれるんです。だから、かなり良い関係性ですね。
──誰かがあなたにそれだけの愛情を注いでくれることは、あなた自身が必要としていることだったと感じますか?
スミス=ロウ:ええ、もちろんです。監督からの肩を組んでくれるような励ましが、僕に自信を与えてくれています。だからこそ、自分で自分にプレッシャーをかけすぎず、今はピッチに出て純粋に楽しめるんです。初めて直接会った日から、監督が本当に僕の成長を助けたいと思ってくれているのがわかりました。だから今は本当に幸せです。
──あなたの原点についてお聞きします。ここに南ロンドンのサンデーリーグチーム「グリーブFC」時代の写真がありますが、何か覚えていますか?
スミス=ロウ:懐かしいですね。僕が最初に所属したチームですよ。トロフィーを持っているので、何かで優勝したんでしょうね。マン・オブ・ザ・マッチのトロフィーかな(笑)。自分が育った南ロンドンでの、素晴らしい思い出です。僕のキャリアはここから始まったんです。
──その年齢でプレーし、楽しみ、勝ち、ゴールを決めるという感覚を覚えていますか?
スミス=ロウ:ええ、もちろん。純粋に楽しんでいましたね。何も心配する必要がなくて。とても若かったので、戦術とかそういうことを考える必要はなかったんです。ただ自分自身を楽しんで、友達と遊んでいるような感覚でしたね。
でも、その気持ちは今でもなくなっていません。それに、僕はとにかく勝つのが大好きなんです。逆に負けると誰とも話したくなくなって、携帯の電源も切ってしまうくらいです。ピッチの上では常にハッピーでいたいし、最高のパフォーマンスを見せたいと思っています。
──あなたが金網のコートに通っていたという話も読みました。あなたの生い立ちが、サッカー選手としての土台になっているのですね。
スミス=ロウ:公園には金網のコートが2つあって、まだとても小さかった頃は、何かの上に立って年上の子たちがプレーするのを離れて見ていました。そして、それが選手たちの動きやプレーを理解するのに役立ったように感じます。僕が年齢を重ねて、コートに直接行くことを母が許してくれたときには、もう遅くまで家に帰らないようになっていましたね。
──若い頃を知る人は、あなたのことを「シャイだけど、ピッチに立つと獣のようだ」と表現します。
スミス=ロウ:そうですね、時々そう思います。僕は一番声が大きいタイプではないですし、一人でいるのが好きなんです。でも一度ピッチに立つと、すべてを解放する。ほかのことは何も考えずに、自分のパフォーマンスと、そのために何をすべきかだけに集中しようとします。だから、ピッチ上では別人に変わると言えるかもしれません。でも、それがサッカーというものです。オンとオフを切り替えなければならない時があるんです。
──アーセナルアカデミーに入団した当初、家族のサポートは大きかったですか?
スミス=ロウ:もちろんです。最初はまだ南ロンドンに住んでいたので、移動が本当に長かったんです。学校が終わると母が学校に迎えに来てくれて、車の後部座席で着替えながら練習場に向かっていました。
そして練習後、さらに2時間かけて家に帰ります。帰宅は夜の10時か10時半でした。そしてまた次の日は学校です。目標のために、払わなければならない犠牲でした。もちろん、両親も僕のために多くのことをしてくれた。僕をとても助けてくれましたね。
──そして、17歳で最初のプロ契約を結びます。
スミス=ロウ:僕と家族にとって大きな瞬間でした。あの日を永遠に忘れないでしょう。もちろん、その日から大変な努力が再び始まりますし、同時に自分がどれだけ遠くまで来たかを考えなければなりません。誰もがプロ契約を得るために、必死に努力していますからね。
──アカデミー出身の若い選手にとって、それは一つの到達点ですね。でも、そこからが本当のスタートでもあります。
スミス=ロウ:ええ、そのとおりです。サッカー選手は浮き沈みが激しいですし、じっくりと自分がどれだけ遠くまで来たかを考えるのは難しいんです。常に次の瞬間や挑戦について、考えなければならないからです。キャリアの終わりには、これらの瞬間を振り返ることができると思いますが、当時はもうトップチームにいることや、達成したい様々な目標について考えていました。すぐさま次のステップへ進まなければいけない感覚でしたね。
──トップチームの選手になれる、と周囲が話し始めたのはいつ頃でしたか?
スミス=ロウ:おそらく、プロ契約を結ぶ前のシーズンだったと思います。かなり良いシーズンで、たくさんのゴールを決めましたし、トップチームとも少し練習していました。その頃が、僕について話し始めた最初のタイミングだったかもしれません。
そして、その後のプレシーズンに、トップチームと一緒にシンガポールへ行くことになりました。その時が、本当に話題になり始めたタイミングだったと思います。アトレティコ・マドリードと対戦したんです。それが僕の最初のスタメン出場で、信じられない気分でした。トップチームと初めて遠征した時でしたからね。
誕生日の2日前だったので、本当に不思議な気分でしたよ。でも、そういう些細なことが、本当に幸せな気持ちにさせてくれました。
──2018年9月のヨーロッパリーグでのデビューも特別だったのでは?
スミス=ロウ:覚えていますよ。ウナイ・エメリ監督が起用してくれました。家族も来ていましたし、誇らしい瞬間でした。背番号は55番でしたね。特にホームでのデビューでしたから、僕にとって大きな瞬間でした。
──その数週間後には、カラバフ戦で初ゴールも決めました。
スミス=ロウ:覚えています。アレックス(・イウォビ)がアシストしてくれたんですよね。これも誇らしい瞬間でした。
当時は、すべてがあっという間に感じました。デビューしてから1、2ヶ月後には初ゴールを決めているわけですから。僕はただ集中し続けようと努力しました。当時、チームにはとても良い選手がたくさんいて、彼らから本当に多くのことを学びましたね。
──その後、2019年1月のRBライプツィヒへのローン移籍は、怪我もあり困難な時期でした。
スミス=ロウ:鼠径部に問題を抱えていました。クラブは僕のことをかなり気の毒に思ってくれて、シーズンが終わる前にフィットネスを取り戻せるようチャンスを与えてくれましたが、うまくいきませんでした。初めての一人暮らしで、新しい言語(ドイツ語)を学ぶのも本当に難しかったです。
でも、まったく後悔していません。素晴らしい人々や、今ではビッグクラブで活躍している素晴らしい選手たちにも出会えましたから。良い時間でしたが、とても不運でした。
──帰国後、2019-20シーズンのマンチェスター・C戦でプレミアリーグデビューを果たします。
スミス=ロウ:若い頃から憧れていたメスト・エジルに代わって出場できたのは、大きな瞬間でした。フレドリック・ユングベリ(暫定)監督が僕を信じて、機会を与えてくれたんです。試合には負けましたが、素晴らしい瞬間でした。
──そのシーズンには、ハダースフィールドへのローン移籍も経験しましたね。
スミス=ロウ:それも重要な経験でした。チャンピオンシップ(イングランド2部)というフィジカル的にもタフなリーグを経験し、残留争いのプレッシャーの中でプレーすることは、僕にとって視野を広げる経験になりました。当時まだ20歳か21歳でしたが、そのすべての重圧を背負い、チームのために違いを生み出そうとしたことが、僕を成長させてくれました。アーセナルに戻って違いを生み出すための、大きな自信になりましたね。
──そしてアーセナルでのブレークスルーは、翌2020-21シーズンのチェルシー戦でした。
スミス=ロウ:チームにとって本当に厳しい時期でした。僕自身もスカッドには入っていましたが、重要な選手ではありませんでした。
それが試合の3、4時間前に突然スタメンだと告げられて、かなり驚きましたね。監督からは「プレッシャーはない、楽しんでこい」と言われました。無観客だったことも、逆にプレッシャーを感じずに自分を表現できた要因かもしれません。ありがたいことに僕たちはその試合に勝ちました。それが何かの始まりでした。
──そのシーズンのウェストブロム戦で、待望のプレミアリーグ初ゴールを決めます。
スミス=ロウ:この試合の前の週に、ヨーロッパリーグでビジャレアルに敗退して、悔しい思いをしていました。でも、その次の試合でプレミア初ゴールを決められたことは、大きな達成感をもたらしてくれましたね。目を閉じて、ただその瞬間に浸っていました。
──ブカヨ・サカ選手からのアシストでした。
スミス=ロウ:彼とはアカデミーで一緒に育ちましたからね。僕たち二人がどれだけ遠くまで来たかを考えると、本当に誇りに思えました。
アカデミー出身者として、ファンが抱いている愛情を僕たちは理解しています。なぜなら、僕たち自身もファンだからです。ファンは、僕たち選手がどれだけクラブのためにプレーするのが好きかを見てくれていると思います。
──そこから逆境へ向かい始めたと感じたのはいつ頃ですか?
スミス=ロウ:当時は、ライプツィヒ時代に負った怪我をまだ抱えながらプレーしていました。我慢しながらプレーしていたんです。僕のベストシーズンだった2021-22シーズンは、試合前に毎回注射を打って、痛みを感じないようにしていました。
そしてシーズンの終わりに、チームと話して「専門医に診てもらう必要がある。キャリアの残りをずっと注射を打ち続けるわけにはいかない」と伝えました。2、3人の専門医に診てもらった結果、鼠径部の手術が必要だと言われました。
──それがキャリアのターニングポイントになった。
スミス=ロウ:ええ、それが僕の成長の軌道を遅らせることになりました。もちろん悔しいですが、これがサッカーです。多くの選手が怪我をして、同じような状況を経験しています。だから、僕はただそれに向き合うしかありませんでした。その怪我でかなり遅れをとりましたね。6、7ヶ月離脱して、さらに手術した箇所が感染症をおこしてしまい、復帰が1、2ヶ月遅れました。本当に、自分のリズムを取り戻すことがなかなかできませんでした。
初めての大きな怪我でしたし、復帰後はチームに戻るために戦わなければなりませんでした。僕が戻った時、チームはプレミアリーグの優勝を争っていた。僕がスタメンで出始めた頃の、トップ4を争っていた時とは状況が違ったんです。ガブリエウ(・ジェズス)は素晴らしいシーズンを送っていて、トロサールも加入し、チームはリーグ2位でフィニッシュしました。だから間違いなく、ピッチ内外で僕にとって厳しい時期でした。
──そして、移籍を決断したのですね。
スミス=ロウ:2023-24シーズンも、あまりプレーしていませんでした。一方で、コンスタントにプレーしたいと思う年齢に差し掛かってもいた。毎試合プレーしたかったのですが、それができていませんでした。
だからシーズン後の夏に、僕は自分自身のために決断しました。「移籍したい」と。もちろん大きな一歩でしたし、アーセナルにとても長くいたので、できれば残りたかった。でも僕がどう感じていたか、きっと誰もが理解してくれたはずです。キャリアの残りを、ずっとベンチで過ごすわけにはいかなかった。だからこそ一歩踏み出して、異なる環境に身を置きたかったんです。
──大きな一歩を踏み出した今、フラムでの未来をどう描いていますか?
スミス=ロウ:正直なところ、どうなるかはわかりません。でも、それがサッカーの素晴らしいところです。今はフラムをヨーロッパの舞台に導き、トロフィーを争いたいです。本当に楽しんでいますよ。
クラブの誰もがとても親切で、ファンも本当に素晴らしい。まるで本物の家族のようです。だから、これ以上幸せなことはありません。本当に自分の時間を楽しんでいますし、頑張りたいと思っています。
──エミール、今日は本当にありがとうございました。
スミス=ロウ:こちらこそ、ありがとうございました。
E-1サッカー選手権2025の初陣となったチャイニーズ・タイペイ戦を、4-0の勝利で飾った女子日本代表。試合翌日の7月10日、チームを牽引するキャプテンの高橋はなと、10番を背負う塩越柚歩が、U-NEXT独占インタビューに応じてくれた。初戦の勝利とゴールシーン、現在のチームの雰囲気、そして次節“日韓戦”への意気込みを語る。
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