主将・高橋はな、10番・塩越柚歩が振り返る初戦の勝利。次節の韓国戦でも「気持ちからぶつかっていく姿を」|E-1サッカー選手権2025
E-1サッカー選手権2025の初陣となったチャイニーズ・タイペイ戦を、4-0の勝利で飾った女子日本代表。試合翌日の7月10日、チームを牽引するキャプテンの高橋はなと、10番を背負う塩越柚歩が、U-NEXT独占インタビューに応じてくれた。初戦の勝利とゴールシーン、現在のチームの雰囲気、そして次節“日韓戦”への意気込みを語る。
ここ数シーズン、厳しい残留争いを強いられてきたエヴァートン。しかし、2024-25シーズン途中のデイビッド・モイーズ監督復帰を機に、彼らは確かに変わりつつある。
チームを最後方から鼓舞し、驚異的なセーブで幾度となくチームを救ってきたのが、守護神を務めるジョーダン・ピックフォードだ。その精神的な強靭さは、いかにして育まれたのか。6度にも及ぶローン移籍、心理学者との対話、父となった経験――。クラブの偉大な先輩であるティム・ハワードがインタビューの聞き手となり、“負けない”精神の源流に迫る。
──チームはここ数年厳しい状況でしたが、2024-25シーズンはようやく顔を上げて少し息をつけるような成績、素晴らしいことではないでしょうか。
ピックフォード:ええ、間違いなくここ数年よりずっと良い状態です。ここ数年だといつも4月頃にようやく出てくるような調子の良さを、1月や2月の段階で実現できた。本当に大きいですね。これが僕らにとって、これからを築き上げ、さらに前進していくための土台になります。
監督(デイビッド・モイーズ)が就任した時、「私は降格から抜け出すチームを率いるためにここに来たのではない。リーグのトップハーフ(上半分の順位)を目指すチームでありたいんだ」と力強く語りました。彼は早い段階からその基準を示し、僕らに結果を出すことを求めてきました。そして、僕たちはそれに応えるよう努めた。就任から5試合で4勝1分という結果は素晴らしいものでした。
大切なのは今季に満足せず、勢いを維持し、勝利を積み重ねていくことです。今の監督はその手腕に長けていますし、僕らを常に前へと駆り立ててくれると信じています。
──監督がチームにもたらした最も大きな変化は何だったのでしょうか?
ピックフォード:最も大きな点は、ゴールへの意識改革です。より多くのチャンスを創出し、より多くの選手がペナルティエリア内に侵入することを求めています。ショーン・ダイチ前監督と彼のスタッフが築き上げた堅固な守備という素晴らしい財産があることを、モイーズ監督は理解しています。それは僕たちの強みであり、それを失うわけにはいきません。その堅守を土台としながら、いかに多くのチャンスを作り、選手をより効果的なポジションに配置するか。彼が監督に就任してからの試合スタッツが、その成果を如実に物語っていると思います。
──あなたはワシントンという場所で生まれ育ったと伺っています。イングランド北東部の、どのような場所なのでしょうか?
ピックフォード:ノースイースト(北東部)です。まさに“神の国”ですよ(笑)。サンダーランドとニューカッスル、そしてダラムのちょうど中間に位置するような場所です。サッカー熱がものすごく高い地域で、ワシントンではサンダーランドファンとニューカッスルファンが半々くらい。僕が応援していたサンダーランドファンの友人もいれば、ニューカッスルファンの友人もいる。ハードワークを重んじる、素晴らしい労働者階級の街ですね。
──あなたのサッカー人生の原点について教えていただけますか。最初の記憶はどのようなものでしたか?
ピックフォード:初めてゴールマウスに立った時のことは、今でも鮮明に覚えています。6歳年上の兄が当時、郡の選抜チームでプレーしていました。ある日、近所のピッチで5人制サッカーの練習をしているチームがあって、僕も何となくそれに加わったのですが、彼らはちょうどキーパーを探していたんです。それで僕がゴールに入ることになった。それが最初の記憶ですね。
──それがすべての始まりだったのですね。
ピックフォード:ええ、そこからずっとゴールキーパーです。たしかそのチームは一つ年上のカテゴリーだったので、本当は一緒にプレーできなかったのですが、違う名前で登録してプレーしていました(笑)。
僕が育ったワシントンのフェアフィールドでは、兄たちといつも路上でサッカーをしていました。兄はセンターフォワードだったので、常に僕に向かってシュートを打ってくる。僕はアスファルトの上を飛び回ってボールを止めていました。その経験が、僕の勇敢さを早い段階で叩き込んでくれたんだと思います。
──ゴールキーパー以外、たとえばストライカーをやりたいと思ったことはありましたか?
ピックフォード:いや、気持ちは常にゴールキーパーでしたね。ただ、学校のチームではミッドフィルダーをやっていて、激しいタックルをするのが好きでした(笑)。その頃から、アウトフィールドでのプレー経験はありました。サンダーランドのアカデミーが素晴らしかったのは、ゴールキーパーでも週に3、4回は、アウトフィールドでの練習をさせてもらえたことです。そのおかげで、足元の技術やボールフィーリングが自然と身につきました。
──あなたの昔の先生や監督たちは口を揃えて、「若者らしい激しさはあったが、彼には何か特別な“エッジ”があった」と語っています。ご自身ではどう思われますか?
ピックフォード:そう思います。子どもの頃から、僕は常に“勝者のメンタリティ”を持っています。路上でゴールを守る時でも、仲間との5人制の試合でも、練習中のどんな小さなゲームでも、とにかく負けるのが嫌いでした。僕にとってすべてが競争であり、常に100%の力を出し切る。その姿勢は、僕のキャリアを通じてまったく変わっていません。トレーニングですら、絶対に負けたくないんです。
──その負けん気が、あなたをプロの世界へと導いたのですね。8歳で憧れのサンダーランドのアカデミーに入った時は、どのようなお気持ちでしたか?
ピックフォード:最高でしたね。クラブと契約すると、ハーフタイムにスタジアムのピッチでミニゲームをさせてもらえるんです。ファンからの愛情を感じられて、あの瞬間は決して忘れられません。
ただ、プロの世界は甘くありませんでした。特に足元の技術は、本当に必死に練習しましたね。簡単には身につかなかったですが、ある日突然、感覚が掴めたんです。当時のキーパーコーチだったマーク・プルドーは、暗い夜にたった一つの投光器の下で、僕に付きっきりで指導してくれました。彼は「テクニックも大事だが、もっと重要なのはボールをゴールに入れさせないことだ。君には適切なタイミングでボールの前に立ちはだかる天性の才能がある」と、いつも言ってくれましたね。
──そしてあなたは、ダーリントン、アルフレトン・タウン、バートン・アルビオン、カーライル、ブラッドフォード、プレストンと、6度ものローン移籍を経験されます。その経験は、あなたをどのように変えましたか?
ピックフォード:あれは僕のキャリアで最も多くを学んだ時期でした。当時のコーチだったケビン・ボールは、「君は良い意味でユースレベルに飽きている。外の世界でプレーする必要がある」と言ってくれました。
僕は試合の中でたくさんのミスを犯しましたが、それこそが必要な経験だったと感じます。サッカーの世界では、一つのミスで取り返しがつかないことになる。そうした経験から、僕は自分だけでなく、チームメイトやその家族の生活のためにもプレーしているんだと痛感しました。勝利給ボーナスは、家族を養うための大切なお金なんです。その責任の重さは決して忘れません。
そうしてカンファレンス(5部相当)、リーグ2(4部)、リーグ1(3部)、チャンピオンシップ(2部)と、一歩ずつ階段を駆け上がっていきました。僕の目標は常に、プレミアリーグのキーパーになることでしたから。
──その努力が実り、FAカップのアーセナル戦でサンダーランドでのトップチームデビューを飾ります。どのような心境でしたか?
ピックフォード:プレストンへのローン移籍中に、当時の監督だったサム・アラダイスから呼び戻されると聞きました。そして、アウェイのアーセナル戦でデビューだと告げられたんです。幸運なことに、僕の代理人がアーセナルのスタジアムにボックス席を持っていたので、家族や妻を招待することができました。
サッカーの試合で本気で緊張したのは、おそらくあのデビュー戦が最初で最後でしょうね。試合には敗れましたが、憧れのサンダーランドのユニフォームを着てピッチに立てたことは、素晴らしい達成感でした。
──サンダーランドで31試合に出場した後、エヴァートンから声がかかります。これは難しい決断でしたか?
ピックフォード:僕個人としては良いシーズンを送れたのですが、残念ながらチームは降格してしまいました。それが大きな要因でしたね。そんな時に、エヴァートンのような偉大なクラブから話をいただき、さらにヨーロッパの舞台で戦えるチャンスもあった。僕にとって大きな挑戦であり、断る理由はありませんでした。その先には、2018年のワールドカップ出場も見据えていましたから。ワールドカップのメンバーに入り、正GKになることがその年の明確な目標でした。
──当時、英国人GKとして史上最高額となる移籍金(最大3000万ポンド)で移籍されました。そのプレッシャーは感じましたか?
ピックフォード:いえ、それほど感じませんでした。「その値札が自分の背中に貼られているなら、なぜその価値があるのかをピッチで証明するだけだ」と思っていました。ローン移籍で積み重ねてきたハードワークと、サンダーランドでのパフォーマンスが評価された結果です。僕は挑戦することが好きなので、プレッシャーは感じませんでした。むしろ、「どうやってエヴァートンの選手として、いち早く自分の価値を示すか」ということだけを考えていましたね。
──デビュー戦のストーク戦、1-0でリードした終盤に見せたセーブは、まさにその証明となりましたね。
ピックフォード:覚えています。ワッザ(ウェイン・ルーニー)がヘディングで決めた後、試合終了間際にシャキリにシュートを打たれました。左にダイブしてボールを弾き出した瞬間、「俺はここにいるぞ」と示せた気がしました。ホームのグディソン・パークでのデビュー戦をクリーンシートで飾れたのは、最高のスタートでした。
──あなたは2023-24シーズンまで、3季連続でクラブの年間最優秀選手に選ばれています。素晴らしいことですが、正直なところ、少し働きすぎではないかと感じます(笑)。セーブが少ない試合の方が、本当は嬉しいのではないでしょうか?
ピックフォード:もちろん、そうですね。ボールに触らないで勝てるならそれが一番です(笑)。でも、僕は月曜日から金曜日まで、練習場でやるべきことをすべてやっています。試合でボールに触るのが5回でも、50回でも、僕は準備万端です。練習場で100%を出し切ることが、週末の試合への精神的な備えになる。だから、仕事量が多くても少なくても問題ありません。それが僕の役割ですから。
──偉大なゴールキーパーとなったあなたでも、試合でミスをすることはあります。ミスが起きてしまった時、どのように乗り越えていますか?
ピックフォード:いかにミスを減らすか、それがまず重要です。そして、僕にとってはやはりローン移籍の経験がすべてです。あの経験で僕は、「次の瞬間、次のプレーがすべてだ」ということを学びました。パスでも、クロスでも、セーブでも、目の前のアクションに全力を尽くす。起きてしまったことはもう変えられません。だから、次のプレーに集中するんです。
今でも試合中にミスをしたり、「もっと上手くやれたな」と思ったりすることはあります。でも、すぐに気持ちを切り替える。試合が終わってから、次の週の練習で修正すればいい。試合中は、ただ前進あるのみです。
──あなたのキャリアにおける最高のセーブを一つ挙げていただけますか?
ピックフォード:2021-22シーズンのチェルシー戦で、アスピリクエタのシュートを止めたセーブは、すごく印象深いですね。ゴールの逆サイドに走りながら、体勢を変えて飛びつかなければならなかった。あれは練習で再現できるようなプレーではありません。とっさの判断でした。でも、あのセーブが重要だったのは、残留争いの渦中にあったあの時期、あのタイミングで、チームに勝ち点3をもたらしたからです。その状況が、セーブの価値をさらに高めてくれたんだと思います。
──初めて父親になった経験は、あなたにどのような変化をもたらしましたか?
ピックフォード:僕と妻のミーガンにとって、人生で最高の瞬間でした。でも正直に言うと、それは大きな変化で、僕のサッカーにも影響がありました。どんなアスリートでも常に右肩上がりということはあり得ません。必ず後退する瞬間がある。僕にとってはその時期になりました。人生の大きな変化に適応する中で、フォームを落としてしまったんです。でも今は、その経験から学び、基本に立ち返ることで、以前よりもさらに強くなって戻ってこれたと感じています。
──心理学者との取り組みについて、非常にオープンに話されていますね。多くの選手が語りたがらないテーマだと感じます。
ピックフォード:僕のゲームにおけるメンタリティ、心理的な側面を改善したかったんです。今は時々連絡を取り合うくらいですが、かつては今より多くのハードワークを共に行いました。
彼が教えてくれた良い例が、タイガー・ウッズです。彼は「ゴルフコースの上ではタイガー・ウッズであり、家に帰ればエルドリック(本名)になる」と言いました。つまり、サッカー選手としての自分と、家庭での父親としての自分を切り離すということです。家族の気分を仕事に持ち込まず、仕事の気分を家庭に持ち込まない。シンプルなことですが、非常に重要です。
──心理学は、現代のスポーツにおいてより重要になっていると感じますか?
ピックフォード:そう思います。昔は隠されてきた部分でしたが、今はもっとオープンになっています。最初は僕も「心理学者なんて必要ない」と頑なでした。でも、自分をより良くするため、チームをより良くするために、自分の心身に投資することは当たり前です。心理学者との取り組みが、僕をより良い人間、そしてより良いゴールキーパーにしてくれた。だから、僕はそれについてオープンに話すことを何とも思いません。
──その強いメンタリティで、あなたはイングランド代表の守護神であり続けています。メジャートーナメントでのキャップ数では、伝説のピーター・シルトンを超えました。個人の記録についてはどのように考えていますか?
ピックフォード:僕は究極のチームプレーヤーです。シルトンの持つ通算125キャップの記録を破るよりも、イングランド代表としてトロフィーを掲げる方が何倍も嬉しい。そのためには、まずエヴァートンで最高のパフォーマンスを出し続けなければなりません。イングランドのユニフォームを着るためには、クラブでベストを尽くすことが絶対条件です。
100キャップも、このままいけば3年後くらいには見えてきます。ですが今は、目の前のことに集中するだけです。イングランドのシャツに袖を通す瞬間は、いつだって誇らしいものですから。
──このイングランド代表には、悲願のトロフィーを掲げる力があると思われますか?
ピックフォード:決して簡単な挑戦ではありません。でも、僕たちはその挑戦を楽しんでいます。このチームには素晴らしい一体感がある。それが、僕たちがこれまで何度も優勝に近づけた理由です。長く家族と離れて戦うトーナメントでは、選手の団結力が何よりも重要になります。しかし、僕たちにはそれがあると感じています。
──最後に聞かせてください。あなたのキャリアはすでに夢のようなものですが、まだ成し遂げたいと願う目標は何でしょうか?
ピックフォード:エヴァートンで、何かメジャーなトロフィーを掲げたいです。リーグ優勝は競争が激しく困難ですが、カップ戦のタイトルを獲ったり、再びヨーロッパの舞台に戻ったり、このクラブにあの高揚感をもう一度もたらしたい。エヴァートニアンがトロフィーを掲げる姿から、あまりにも長く遠ざかっていますから。
新しい体制のもと、モイーズ監督はこのクラブがあるべき場所を知っています。僕たち選手はそのビジョンに乗り、これからさらに上の順位を目指して突き進んでいくだけです。
E-1サッカー選手権2025の初陣となったチャイニーズ・タイペイ戦を、4-0の勝利で飾った女子日本代表。試合翌日の7月10日、チームを牽引するキャプテンの高橋はなと、10番を背負う塩越柚歩が、U-NEXT独占インタビューに応じてくれた。初戦の勝利とゴールシーン、現在のチームの雰囲気、そして次節“日韓戦”への意気込みを語る。
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