今さら聞けない、ジャン=リュック・ゴダールについて知っている二、三の事柄
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今さら聞けない、ジャン=リュック・ゴダールについて知っている二、三の事柄

2024.02.28 18:00

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  • 勝手にしやがれ
  • 女は女である
  • 軽蔑
  • 気狂いピエロ
  • ワン・プラス・ワン

反逆の映画作家。ヌーヴェルヴァーグの巨人。2022年9月13日、ジャン=リュック・ゴダールが91歳でこの世を去った。スイスでは合法として認められている自殺幇助を受けて、自死することを選んだのである。それは確実に、ひとつの時代の終焉を告げるものだった。

ゴダールという映画作家の全体像を捉えることは難しい。今からおよそ60年前、『勝手にしやがれ』(1959)という1本の映画で革命を起こしてからも、彼は常に挑戦し、試行錯誤を繰り返し、変容し続けてきたからだ。

映画批評誌カイエ・デュ・シネマで、フランソワ・トリュフォー、ジャック・リヴェット、クロード・シャブロルらと共に若手評論家としてキャリアをスタートさせると、ヌーヴェルヴァーグの旗手として映画界の最前線をひた走り、毛沢東に邂逅して政治の時代へと突入。やがてヴィデオの映像実験に没入し、忌み嫌っていた商業映画へと復帰すると、『ゴダールの映画史』(1998)では100年にわたる映画の歴史を総括。彼は生涯にわたって既存のシステムを破壊し、批評し、新たな地平を築いてきたのである。

ジャン=リュック・ゴダールという名前に畏怖を覚える者は多い(筆者もその一人である)。迂闊に彼の名前を出してしまうことで、自分の貧弱な知性と感性が丸裸にさせられてしまうような恐怖心があるからだ。現代思想やら政治やらアートやらの高度な引用・コラージュを、本当に認識できているのか?映画文法を根底から破壊するジャンプカットや、ソニマージュ(映像に従属する要素でしかなかった“音”を、等価なものとみなして再構築する試み)という概念を、本当に理解できているのか?蓮實重彦や浅田彰といった知の巨人たちがベタ褒めすればするほど、ゴダールについて安易に語れない自主規制が働いてしまっていた。

だが、JLGはもっとポップだし、もっとカジュアルに受け止めていいはず。軽妙洒脱なデザイン・センスだったり、タイポグラフィだったり、アンナ・カリーナやジーン・セバーグのコケティッシュな魅力から、ゴダールの映画にINしてもいい。彼の映画を観るために必要なのは、心の浸透性を良くするための“しなやかさ”だけ。ジャン=リュック・ゴダールについて我々が知っておくべき二、三の事柄は、次の通りだ。

其の一:話がよく分からない。

其の二:カット割りが変だし、音楽の使い方も変。

其の三:主人公が最後に死にがち。

これさえ貴方が許容できるのであれば、きっとゴダールは向こうから歩み寄ってくれるはず。そこには、プリミティヴな映像的快楽が待っている。

『勝手にしやがれ』(1959)

勝手にしやがれ

フランソワ・トリュフォーが新聞の三面記事をヒントに書いた原案を元に、ゴダールがアメリカのB級ギャング映画へのオマージュとして創り上げた、ヌーヴェルヴァーグの金字塔。主演を務めたジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグは、一躍時代の寵児となる。

絵コンテなし、リハーサルなし(隠し撮りの街頭ロケだったから!)、ライティングも同時録音もなし、カメラは手持ち撮影。本番中にゴダールが俳優にセリフを口伝えするという、前代未聞の即興演出。シーンの連続性をガン無視してフィルムを繋ぎ合わせたかのようなジャンプカット、第四の壁を突破するカメラ目線。かつてD・W・グリフィスによって作られた映画文法を、ゴダールはいとも易々と破壊してみせた。

『女は女である』(1961)

女は女である
© 1961 STUDIO CANAL - EURO INTERNATIONAL FILMS S.p.A.

「登場人物が歌わないミュージカル・コメディ」という発想でつくられた、ゴダールの長篇劇映画第3作。ミシェル・ルグランの小粋なラウンジ・ミュージックを大胆にカットアップしたり、カメラが左に180度パンしたと思ったらまた右に180度戻ったり、遊び心満載の演出が縦横無尽に施されている。ゴダールが初めて撮ったカラー映画ということもあり、まばゆい色彩感覚も楽しい。「とってもつれない女なの/でも怒る人は誰もいない/それは私がとってもきれいだから」と、コケットリーに歌い踊るアンナ・カリーナの魅力もスパークしている。

カメオ出演のジャンヌ・モローに向かってジャン・ポール・ベルモンドが「ジュールとジムはどう?」と、トリュフォーの『突然炎のごとく』(1962)を意識したセリフを言わせてみたり、ジュークボックスに『ピアニストを撃て』(1959)のジャケットがあったり、ヌーヴェルヴァーグな小ネタも満載。

配信開始前、または配信終了しています。

『軽蔑』(1963)

軽蔑

イタリアの小説家アルベルト・モラヴィアの原作を映画化。『メトロポリス』(1927)や『M』(1931)で知られる巨匠監督フリッツ・ラング(まさかの本人が演じている)と、ハリウッド的スペクタキュラーを主張するプロデューサーの狭間で脚本家が苦悩する、“映画についての映画”。

同時にこの作品は、破綻を迎えつつあったアンナ・カリーナとの結婚生活をそのまま引き写した、夫婦のクライシスを描いた作品でもある。「私の足首は好き?」「ヒザも好き?」「太ももは?」「いいお尻だと思う?」「私の胸は好き?」と、ベッドルームでブリジット・バルドーが夫に愛を確認するシークエンスは、在りし日の妻との甘美な思い出なのかも。妻との関係に苦しみ、作家主義と商業主義のあいだで揺れ動くミシェル・ピコリの姿は、ゴダール自身だ。

『気狂いピエロ』(1965)

気狂いピエロ

「やっと見つけた」「何を?」「永遠。海と太陽」。アルチュール・ランボーの詩「永遠」の引用、アンナ・カリーナが海岸で歌い出す「私の運命線」、ベトナム戦争を風刺した摩訶不思議な芝居、ジャン・ポール・ベルモンドがダイナマイトを頭に巻いて爆死する衝撃的なラスト。ここには生と死、愛と裏切り、現実と幻想がある。ほぼ全てのシーンが俳優の即興によって演じられたゴダール的映画術は、この作品でピークに達した。

何よりも『気狂いピエロ』は、ロイ・リキテンスタインのようなポップ・アート感覚に満ちている。目を引くのは、ヴィヴィッドなトリコロール・カラー(青、白、赤)の横溢。特に、ベルモンドが鮮やかなイヴ・クライン・ブルーを顔に塗りたくるシーンは、今なお鮮烈だ。

『ワン・プラス・ワン』(1968)

ワン・プラス・ワン
©1971 UNIVISTA PRODS LTD. All Rights Reserved

ジョン・レノンにロシアの革命家を演じてもらう映画を計画していたものの、すげなく断られてしまい、じゃあ代わりにローリング・ストーンズで撮っちゃえ!と路線変更。『悪魔を憐れむ歌(Sympathy for the Devil)』のレコーディング風景と、リロイ・ジョーンズの『ブルースの魂』を読み上げる黒人たちや、ヒトラーの『わが闘争』を朗読するポルノショップのオーナーなど、アジテーターたちのフッテージが脈絡なく入り混じるという、尋常ならざる音楽ドキュメンタリーが完成した。

後年キース・リチャーズは、「ゴダールには首尾一貫したプランがまったくなかった」と恨み節。だが、ロック史上に残る名曲が完成するまでの貴重な記録であることは間違いない。

映画史に颯爽と登場してから半世紀以上経過した今も、JLGの正体は掴めない。アンディ・ウォホールのポップアートを鑑賞するように、ゴダールを咀嚼し味わおう。まずはそこから始めればいい。理屈はその後だ。

「ウイークエンド」に「メイド・イン・USA」のお菓子でも食べながらゴダール映画を観れば、きっと気分は「万事快調」。「東風」に乗って、「たのしい知識」が入り込んでくる。それがきっと、「勝手に逃げろ/人生」。FIN.

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