「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」として特集上映した作品の中から『エターナル・ドーター』について、ライター・編集者の小柳帝さんが寄稿してくれました。
小柳帝(ライター・編集者)
イギリスの女性監督ジョアンナ・ホッグの映画が、ようやく日本の劇場で初公開される。まずは、そのことを心から祝したい。
1960年生まれのホッグは、映画監督デビューが遅く(それまでは、主にテレビやミュージック・ビデオの世界で活躍していた)、2007年に発表した長編第一作の“Unrelated”から、今回公開される最新作の『エターナル・ドーター』に至るまで、僅か6本の作品しか撮っていない。それなのに、昨年の春、パリのポンピドゥー・センターで彼女のレトロスペクティヴが開催され、その際に200ページを超える研究書が出版されるほど、すでに巨匠として遇され始めているのだ。それは、とりわけ、前作の二部作『ザ・スーベニア~魅せられて~』(2019、配信時タイトル)と“The Souvenir Part II”(2021)が、英サイト&サウンド誌ではどちらもその年のベスト1に輝き、米フィルム・コメント誌でも前者が6位、後者が3位になるなど、ホッグの世界的な評価を決定づけたことにもよるだろう。またホッグは、尊敬するシャンタル・アケルマンのレトロスペクティヴをロンドンで成功させるなど、女性映画監督の歴史にも極めて自覚的だ。
「スーベニア二部作」は、1980年代、ホッグが英国立映画テレビ学校の学生だった頃のことを描いた半自伝的な作品だが、主役の監督の卵ジュリーに抜擢されたのは、ティルダ・スウィントンの娘オナー・スウィントン・バーンで、母親ロザリンド役を実の母であるティルダが演じたのも話題となった。そのティルダが、母ロザリンドだけでなく、年齢を重ねたジュリーの二役を演じたのが、今回の『エターナル・ドーター』で、この映画は、「スーベニア二部作」の後日談、もしくはスピンオフとでも言うべき作品になっている。「スーベニア・シリーズ」は、この作品を含め、三部作となっていると言ってもいいかもしれない。一方、デビュー作“Unrelated”から、『家族の波紋』(2010、WOWOW放映時タイトル)、“Exhibition”(2013)までの初期の三作は、すべての作品にトム・ヒドルストンが出演していて、内容的な繋がりはないものの、こちらもある種のトリロジーを形成している。
このようにホッグがお気に入りの俳優を使うのは、彼女の演出法にその理由があるかもしれない。ホッグは、ジャン=リュック・ゴダールのように、あえて脚本は作らず、簡単なプロットだけが書かれたアイデア・ブックのようなものを演者とシェアし、彼らから即興で生の言葉を引き出すタイプの映画作家なのだが、そうなると、俳優との信頼関係が欠かせず、必然的に好みの役者を使うことになる。ヒドルストンもその一人だが、ティルダは、ホッグにとってさらに別格の存在であった。実は、ホッグが若かりし頃、映画学校の卒業制作で撮った短編映画“Caprice”(1986)(“The Souvenir Part II”でその片鱗を感じることができる)の主演を務めていたのがティルダなのだ。ティルダの映画デビューは、デレク・ジャーマンの『カラヴァッジオ』(1986)だが、まさに同時期に撮られたのが、その“Caprice”だった。つまり、ティルダはこの頃のホッグをよく知っていた。いや、それどころか二人の原点は10代初めに遡る。1学年違いこそすれ、二人は同じウェスト・ヒース女学校の寮で出会っていたのだ。学校が嫌いなことで意気投合した二人は、その後ブランクはあったものの、20代でまた再会し、ホッグはティルダの娘オナーの名付け親になるほど公私にわたる親密な関係を築いてきた。ティルダは、「スーベニア二部作」でこそ主役の母という脇役に甘んじていたが、『エターナル・ドーター』では、自らの提案で母娘二役を演じることによって、念願のホッグとがぶり四つを組んだ作品を作ることができたのだ。
ホッグの映画は、ある限定された建築物(トスカーナのヴィラ、トレスコ島のコテージ、ロンドンの住居やアパート)の中で、またその影響下に、そこに滞在する/暮らす家族や、夫婦や、男女の関係性のみならず、世代間や階級間のズレ、さらにはそれぞれが抱えている欲望や苦悩や実存が露になるような作品ばかりだが、『エターナル・ドーター』では、それが母と娘になっている。そして舞台は、娘が母を連れて訪れる、母が幼い頃、暮らしていたウェールズの、今はホテルとなっている「モエル・ファマウ・ホール」という、霧に包まれた見るからに気味の悪い館だ。因みにこの館は、実際の名称を「ソートン・ホール」といい、その起源は18世紀に遡るが、「ダウントン・アビー」(2010〜15)で有名なハイクレア城と同じく、チャールズ・バリーの設計によって1820年に改築され今に至っているものだ。ハイクレア城はゴシック様式を取り入れたものだが、「モエル・ファマウ」にも英国ゴシックホラー伝統の不気味な雰囲気が漂っているわけである。その館には、娘が読むラドヤード・キップリングの短編「彼等」よろしく、ゴーストたち(過去の記憶)が取り憑いているかのように、夜ともなると、ウェールズ地方特有の風の音に混じって様々な不穏な音や声が聴こえてくる(ジョバン・アジダーのサウンド・デザインが素晴らしい)。そのせいか、母をテーマにした娘の新作映画の脚本の執筆も遅々として進まない。そうした中で、自分たちの過去や、関係性を見つめ直すことで、今や娘の世話の下で弱々しい立場にある母は、それでも不安を抱える娘に毅然とした態度を示し、一方で、子どものいない娘にとって、彼女の生み出す作品こそが、彼女の子どものようなものだと理解を示す(一方で、その作品は母のことを描くものであるというパラドックス…)。そして、母の誕生日の祝いの席での母娘の諍いをきっかけに、クライマックスが訪れる。いつしか立場は逆転し、自分の娘のように世話をしていたはずの母に、娘は、まるで童心に帰ったかのように、感情をぶつけ泣きじゃくるのだ。この母と娘の何とも複雑怪奇極まりない永劫回帰的関係。ホッグとティルダは、若い頃から母親のことが理解できず悩んだというが、二人が若い頃から抱えていた問いである、母とは何か、娘とは何かという永遠の問いが、いくつものレイヤーの重なりを通して、そこに炙り出されるのだ。そして、その問いは、ティルダが母娘二役を演じることで終わりのない対話となり、ホッグ得意の鏡によるドッペルゲンガー的演出も相まって、いつしか二人の人格は、イングマル・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』(1966)のように入れ替わり、混ざり合う…。そして、あの誰もがアッと息を呑むエンディングがやってくるのだ(ホッグの実の母親も、この映画の編集中に還らぬ人となった)。
霧深い森の奥にたたずむホテル、モエル・ファマウ・ホール。ジュリーは母の誕生日を思い出の場所で祝おうと、数カ月前から予約を入れていた。しかし到着したホテルは様子がおかしく…。ホテルの不気味さと母の思い出話が徐々にジュリーの心を苦しめていく。
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