A24『ゴッズ・クリーチャー』をライター・木津毅さんがレビュー
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A24『ゴッズ・クリーチャー』をライター・木津毅さんがレビュー

2024.01.30 16:00

「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」として特集上映した作品の中から『ゴッズ・クリーチャー』について、ライターの木津毅さんが寄稿してくれました。

ゴッズ・クリーチャー_03
© A24 DISTRIBUTION LLC, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, NINE DAUGHTERS, SCREEN IRELAND 2022

ある女性の葛藤として語り直される“放蕩息子の帰郷”

木津毅(ライター)

放蕩息子が故郷に帰ってくる物語というと、イエス・キリストが語ったとされる喩え話が思い出される。父親から生前贈与を受けた息子ふたりのうち弟が遠い国に旅立ち、身を持ち崩したのちに助けを求めて帰郷すると、父は大いに喜び彼を赦し歓迎したというものだ。当然、父親のそばで真面目に生きてきた兄は面白くない。すると父は兄をたしなめる。「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ」。この物語は、罪人を赦し迎え入れる神のあわれみ深さを主題にしていると言われる。そしてそこにあるのは、父親から息子への、すなわち神から人間に対する無条件の愛である。ひとは誰もが罪深く、だからこそ愛のもとに赦されうるのだ、と。しかしながら、現代的な観点からこの寓話を読み解くと引っかかるところもある。ここに登場するのは男ばかりだからだ。男が慈悲をもって罪を犯した男の処遇を決める。歴史を振り返れば多くの場合、そのように世界は回ってきた。

アイルランドの寂れた漁村を舞台にした『ゴッズ・クリーチャー』が現代劇として秀でている点はまず、放蕩息子の帰郷というモチーフを引用しながら、共同体の女たちが置かれた複雑な立場を中心に置いているところだ。主人公は父親ではなく母親。ラース・フォン・トリアー監督作『奇跡の海』(1996)での「無垢な妻」役で知られるエミリー・ワトソンが演じている。監督はニューヨークのブルックリンを拠点に協働してきた気鋭のコンビ、サエラ・デイヴィスとアナ・ローズ・ホーマー。彼女たちは本作で、「ろくでなしの男」を巡って対立してしまう女性たちの姿を静かな語り口で辛抱強く描き出す。

物語はその村で、漁師の若者のひとりが事故死するところから始まる。共同体は貴重な若い男をひとり失ってしまったのだ。そんなとき、牡蠣工場で働く中年女性アイリーン(エミリー・ワトソン)のもとに長らく音沙汰のなかった息子ブライアン(ポール・メスカル)が現れる。義父の介護をしながら夫コン(デクラン・コンロン)とシングルマザーである娘エリン(トニ・オルーク)と暮らしていたアイリーンは、予想していなかった家族の再集結に喜ぶ。ブライアンは村にいたときから問題児であったことが家族の会話の端々から窺えるが、それでも片田舎の村には貴重な若い男の帰還であることは事実であり、何よりアイリーンにとっては長らく会っていなかった愛息子との再会だ。「いなくなっていたのに見つかったのだ」、である。さらに、夫が諦めてしまった牡蠣の養殖を再開するとブライアンが提案したことで、彼女は高揚感を抱くようになる。だがあるとき、ブライアンの幼馴染であった村の若い女性サラ(アシュリン・フランシオージ)が彼に性的暴行を受けたと訴えたことから、アイリーンは難しい選択を迫られることになる……。

厄介者の息子に扮するのはアイルランド出身の若手俳優として現在熱い注目を集めるポール・メスカルだ。このキャスティングには唸らされるところがある。恋愛ドラマ「ノーマル・ピープル」(2020)で心優しい青年を演じたことで大きな注目を集め、絶賛を浴びたシャーロット・ウェルズのデビュー長編『aftersun/アフターサン』(2022)でも繊細な若い父親に扮していたメスカルが、ここでは危うい放蕩息子として登場するからだ。ブライアンは問題含みかもしれないが、ひとを惹きつける力を持った若者なのだ。これまでのイメージと異なる役柄をメスカルはニュアンス豊かに体現している。

息子を愛おしく思っているからこそ、アイリーンは彼が性暴力をおこなったと認めたくない。ブライアンはそのことを理解した上で母親を利用している。実際、彼は村の男連中を味方につけるなど狡猾なところがあり、どのように性暴力が社会的に温存されるか見て取ることができる。そして、ブライアン以上に追いつめられるのはアイリーンだ。彼女はサラに憎まれるだけでなく、娘のエリンとも口論することになってしまう。加害者が守られる代わりに、立場の違いから女性同士が対立に追いこまれるのは理不尽な話である。性暴力に対して意見や立場の異なる女性たちが対峙するという点では、本作はサラ・ポーリー監督作『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(2022)と近い主題を扱っていると言える。きわめて今日的なテーマなのだ。

息子への愛と共同体の女性に対する罪悪感との間で引き裂かれたアイリーンはどうするのか。淡々とした描写を積み重ねながら、映画はゆっくりとクライマックスへと向かっていく。それはどこか寓話の結末のようであり、しかし、キリストの喩え話とは異なるものだ。「God‘s Creatures」、すなわち神の創造物たる人間の罪はどのようにして赦されるのか。映画が静かに終わるとき、これは放蕩息子ではなく、あるひとりの女性の罪を巡る神話的な物語であったことが明らかになるのである。

ゴッズ・クリーチャー_02
© A24 DISTRIBUTION LLC, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, NINE DAUGHTERS, SCREEN IRELAND 2022

ゴッズ・クリーチャー

ゴッズ・クリーチャー
© A24 DISTRIBUTION LLC, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, NINE DAUGHTERS, SCREEN IRELAND 2022

アイルランドの風が吹きすさぶ漁村。義父の介護をしながら工場で働くアイリーンのもとに、7年間音沙汰のなかった息子・ブライアンが突如戻ってくる。最愛の息子の帰還を喜ぶアイリーンだったが、ある日事件が起き、彼女は息子を守るために嘘をついてしまう。

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