A24『フォルス・ポジティブ』を映画監督の朝倉加葉子さんがレビュー
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A24『フォルス・ポジティブ』を映画監督の朝倉加葉子さんがレビュー

2024.01.30 12:00

「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」として特集上映した作品の中から『フォルス・ポジティブ』について、映画監督の朝倉加葉子さんが寄稿してくれました。

フォルス・ポジティブ_03
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極めて複雑な“残酷さ”をエンジョイする

朝倉加葉子(映画監督)

主人公は不妊治療の末に妊娠したカップルの妻。不妊治療では手法によってしばしば多胎になり得るが、彼女が授かったのも3つ子だった。担当医からは母体と胎児の安全のために減胎手術を勧められる。夫も、夫の恩師でもある担当医も発育のいい双子男児達のほうを残すことを推すが、主人公は少し小さめの女の子のほうを残したい。話し合いの結果、夫は妻の意思を尊重してくれ、女の子だけを救う手術が行われる。しかし麻酔のせん妄からか、主人公は手術中から不可解な不安に悩まされ、それは手術が成功し妊婦生活が本格化するとさらに彼女を翻弄していく。そばにいるパートナーの夫には優しくされつつ認識の断絶を見せつけられ、男性ばかりの職場では妊婦への建前と本音に翻弄される。確度の高いあるある事例の連打が妊娠も出産も無理ゲーである様を刻んでいくが、これだけでも十分きついうえに、襲い掛かる不安の波によってそれらが現実なのか自分の過敏さゆえの妄想なのかがわからないのが本作の反復する恐怖である。

同じA24作品である『手紙は憶えている』(2015)では認知症の主人公が過去を探す旅に出る。病気によって不確かになっていく記憶だけでなく、今現在の自分の意思もまた手からこぼれ落ちていくという認知症の悲しみが主人公視点で主観的に表現され、展開の重要なカギとしても機能する。しかしこれは単に老化についての物語というよりも、病人の特性の残酷な利用と捉えられるのではないだろうか。残酷はフィクションにおいては現象の一つであり、残酷でも面白い、むしろ残酷であるからこそ面白い、という場合もある。観客は加担の覚悟をして、道徳的是非とは分けて噛み締める必要がある。人間への眼差しというものは優しく意地悪で、故意にも無意識にも振り回されて、極めて複雑だ。

『フォルス・ポジティブ』では妊娠発覚後、主人公の周りで「ママ脳(mommy brain)」という言葉が飛び交うようになる。妊婦の人格が出産前にもかかわらず母親化するライトな意味合いにも使うが、一般的には一部の妊婦が妊娠によって記憶障害や認知障害、ブレインフォグに陥る状態を指し、妊婦の能力低下を示すゆえに差別表現であるともされる。脳の変化やホルモン変化が原因とも言われつつ解明されてはいない。主人公には朧げな不安や認知のずれが次々に襲い掛かり、それがアンコントロールな「ママ脳」の症状なのか、実際に悪意に晒されて陥れられているのか区別がつかない。冷静な距離で主人公の妊娠中の不安を描くことで残酷を感じさせた『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)とは大きく異なり、『手紙は憶えている』よりさらに直情的に表現される自己の崩壊はねっとりとした恐怖演出で形作られていて、共感と哀れみを誘おうとするかのごとく執拗に煽り、演歌ホラーなるジャンルを捏造したくなるほどの浪花節的な押しの強さである。しかしその芯にあるのは現実の理不尽であり、それにズタズタに狂わされている圧倒的に小さい個人のか細い叫びで不思議なバランス感覚を保持している。

日本はホラー映画において胎児の出現率が高いことが木下千花氏によって指摘されていて、優生保護法の環境下で日本が中絶先進国であった反映であるという分析がある。派生して、流産や異形の児の誕生が起こっても罰せられるのは女性であることも言及されている。家父長制から落ちこぼれた女がしばしば狂女として映画に現れるのは万国共通で、やはりそこには男性と違って身分も財産も持てないために誰かの妻・娘・愛人から脱落すると生きていけなかった封建制度と、その過去を持つ今の社会環境がある。ホラーにおける胎児と脱落した女達は恐れられる対象になるが、変貌した弱者を怖がるのは安全圏の強者に生まれる感情だ。女達が狂気に染まるのは「恋愛脳」や女性の感情の特性として描かれてきたが、そこにあったのは性差ではなく他者性だったのではないだろうか。

『フォルス・ポジティブ』は実直に現実社会と己の内面を往復することによってそれらのような他者性からは遠く離れている。しかし恐怖演出のエンタメ性も備え、複雑な残酷さを生んでもいて、結果端的に変わった映画であることは間違いない。BL界にはオメガバースというSF設定をもつジャンルがあるが、『フォルス・ポジティブ』の異形の手触りに一番近いのはこの読後感かもしれない。オメガバースの世界では女性は妊娠役から解放され、男女問わずオメガの性を持つ人間が妊娠を担うが、やはり男性同士のカップリングが大多数を占める。そしてオメガは妊娠以外の能力が低いともされて、差別を受け自分の性を隠す。米のSF作家シオドア・スタージョンによる元ネタを現在の形に発展させたのは多くは女性達である創作者の情熱と集合知である。そこには他者性に基づいたエロと妊娠を目的にしたストーリーラインがあり、創作とは残酷さをこんなにエンジョイするものだという実例だとも思う。しかしこれらに共通する複雑さは何から生じるのか、そこを考える機会が生まれるのが『フォルス・ポジティブ』の一番の見どころだろう。BL好きの方には刺さらないような気がしつつも、ぜひ観てみてもらいたい。

フォルス・ポジティブ_02
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『フォルス・ポジティブ』

フォルス・ポジティブ
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妊活中のルーシーとエイドリアンは、不妊治療の名医・ヒンドル博士の治療を受けられることに。すると、博士の治療を受け始めてすぐに男の子2人と女の子1人の三つ子を妊娠。驚きの結果に舞い上がるが、喜びも束の間、夫婦は難しい決断を迫られる。妊婦が幻覚や悪夢にむしばまれていくマタニティホラー。

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