A24『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』を映画ジャーナリスト・猿渡由紀さんがレビュー
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A24『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』を映画ジャーナリスト・猿渡由紀さんがレビュー

2024.01.26 17:00

「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」として特集上映した作品の中から『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』について、L.A.在住映画ジャーナリストの猿渡由紀さんが寄稿してくれました。

オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト_01
© 2023 CARDINAL RIVER LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

行間を読むように、人生の瞬間を静かに、美しく綴る

猿渡由紀(L.A.在住映画ジャーナリスト)

まるで印象派の絵画を見ているよう。そしてそれらの絵は、時に光を受け、その影を落としつつ、水が流れるように目の前を通り過ぎていく。

レイヴン・ジャクソンの長編映画監督デビュー作は、まるで瞑想をしているかのような気持ちになる、詩的で美しい映画だ。ほかの人たちと違う特別なことが起きるわけでもなく、ひとつの話を始まりから終わりまで語るわけでもない。アメリカ南部はミシシッピに住む黒人女性マックの人生のさまざまな場面を、過去、現在を行ったり来たりしながら、モザイクのように綴っていくのだ。その中には彼女の人生を変えた出来事もあるし、姉妹で仲良く寄り添って笑う、何気ない日常の一コマもある。

そしてジャクソンは、直接的、劇的にではなく、行間を読むような描き方をする。たとえば、赤ちゃんが生まれる時も、普通映画で良く見るように病院のベッドで痛い思いをしながら叫ぶシーンを入れることはせず、生まれてから心を通わせる、穏やかで静かなシーンを見せることを選んでいる。そんな中、観客は、頭の中でストーリーをつなぎ、マックについて少しずつ理解していく。多くのフィルムメーカーはリスクととらえる大胆なやり方だが、ジャクソンと、バリー・ジェンキンスをはじめとするプロデューサーは、観客の知性を信頼したと言える。

さらに、ジャクソンは、急ぐことをしない。沈黙を恐れないのだ。次々に新しいことが起きないと観客が飽きてしまうと心配したりしないのである。幼いマックが父から魚の釣り方を教わる冒頭のシーンでも、その後の母から魚の捌き方を教わるシーンでも、ジャクソンは、実際にそこにいる彼女を見ているかのように、じっくりと見せていく。キャラクター同士がお互いを抱きしめ合う時も、長い間そうしているのを、じっと見つめ続ける。言葉はなくても、抱擁をしている間、彼らの心の中には多くの感情が渦巻いている。それが伝わってくるから、状況はとてもリアルになるのだ。

リアルと言えば、ジャクソンは、音楽もところどころにしか使わない。聞こえてくるのは、鳥、蝉、カエルの鳴き声、雨や雷の音。「雨は、あなたに向かって歌っているみたい」と、誰かがいう。雨が降ると、空気にその味がすると。それは、私たちの生きる地の味だと。人は、この大自然の中の一部なのだと、ジャクソンは伝えてくる。この映画で、人は土や雨や魚に触れ、大事な人と手を絡ませる。大きな世界の中にいながら、小さくて親密な関係がある。

ジャクソンは、テネシー州生まれの33歳。詩人、写真家でもある彼女は、ニューヨーク大学で映画作りを学んだ。この映画のタイトルは、彼女が過去に書いた詩に由来するものだ。泥を食べる文化については、祖母に教えてもらった。アフリカ西部から奴隷によってアメリカに伝わったもので、南部に住む黒人女性の多くは、その伝統を受け継ぎながら育っている。

この映画について考え始めた時、ジャクソンはまず、南部のいろいろなところの風景や、家族の写真を撮ったのだという。釣りをして育った彼女は、ずっと水に惹かれてもきた。このストーリーは、それらのとてもパーソナルな要素から生まれていったものなのである。

2016年の監督作『ムーンライト』でオスカーを受賞した後もテルライド映画祭で短編映画のキュレーターを務めてきたジェンキンスは、インディ・メンフィス・ブラック・フィルムメーカー・レジデンシーにジャクソンが応募してきた時、そこに大きな可能性を発見した。ジェンキンスが審査員を務める新人の黒人フィルムメーカーのためのプログラムに送られてきたその脚本は未完成だったが、その数ヶ月後、彼は、この映画を自分のプロダクション会社パステルで製作すると決めている。やはりプロデューサーに名を連ねるマリア・アルタミラーノ、撮影監督のジョモ・フレイは、ニューヨーク大学時代の友人。それまでも短編映画は作ってきたが、初めて長編映画に、ジャクソンは、ハリウッドに大きな影響力を持つベテランと、最も安心できる人々、両方に囲まれて挑むことができたのだ。

この映画がお披露目されたのは、今年1月のサンダンス映画祭。その後、サン・セバスチャン、シカゴ、ゲントなどの国際映画祭で上映され、好評を得た。アメリカ公開は今年11月。小規模の限定公開だったが、批評家の評価は高く、中・低予算の映画を対象にしたゴッサム・アワードではブレイクスルー監督賞にノミネートされている。こちらの受賞は逃したものの、もっと小さなモントクレア映画祭からは同様の賞を授与された。これから発表されるインディペンデント・スピリット賞にもかかわってくることがかなり期待される。

だが、その結果がどうであれ、世界がオリジナルで繊細なテイストを持つ独自のアーティストを得たことはたしかだ。この若い女性監督は、次にまたどんなすばらしい映画を見せてくれるのだろうか。今からその時が待ちきれない。

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『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』

オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト
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ミシシッピの家庭で暮らす少女・マッケンジー。父は魚の獲り方を、母は娘に捌き方を教えた。自然と戯れ、恋心を寄せるウッドと遊ぶ毎日。ある日、最愛の母が突然この世を去る。大人になりウッドと再会した彼女は、共に過ごした苦く美しい思い出があふれ…。

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