近年で最も有名な脚本家のひとりに挙げられる、野木亜紀子。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』や、『アンナチュラル』『MIU404』などで知られ、エンタメ性と社会性を兼ね備えた作風が、お茶の間はもちろんドラマ好きからも絶大な信頼を得ています。
本記事では、現代を代表する脚本家の来歴や作風を紹介し、その魅力に迫ります。
野木亜紀子の脚本家デビューは、フジテレビの単発ドラマ『さよならロビンソンクルーソー』でした。2010年の「第22回フジテレビヤングシナリオ大賞」で大賞を受賞し、その後映像化されたものです。
野木亜紀子は当時、35歳。脚本家としては遅咲きですが、その理由には彼女の紆余曲折を経たキャリアがあります。
学生時代から演劇を志すも自分には才能がないと早々に諦め、大学は映画監督を目指すべく日本映画学校に進学。様々な映像制作会社を渡り歩き、映画ではなくドキュメンタリー制作の現場で経験を積んでいきました。
学生時代は映画漬けの毎日だったそうですが、社会人になると映画館に足を運ぶ余裕もなくなり、録画したドラマを見るのが趣味に。そこからドラマの世界に惹かれ、脚本家を志望。コンテストに毎年応募するようになり、その思いが結実したのが「フジテレビヤングシナリオ大賞」でした。
この「フジテレビヤングシナリオ大賞」は、脚本家のキャリアとしては登竜門のひとつ。1987年に設立され、初回の大賞は、坂元裕二。2回目は野島伸司という並びをみても、その特徴が見てとれます。
2010年のデビュー後、野木亜紀子は月9枠のオリジナルドラマ『ラッキーセブン』や東村アキコの人気漫画のドラマ化『主に泣いてます』に脚本家として参加。
そして、2013年に公開された有川ひろの人気小説シリーズを原作にした映画『図書館戦争』で単独脚本を担当しました。
この『図書館戦争』はアニメ化や漫画化もされた人気作。その初実写化ということもあり、ファンは期待半分不安半分の反応でした。有川ひろも不安があったとを明かしていますが、「脚本の方(野木亜紀子)はまだお若いですけれども、あと2年もしたら、順番が取れなくなっちゃうだろうな!って思いますね。あれだけめちゃくちゃな話を、あの尺で過不足なく、しかも、あらすじでなくまとめる力って、すごいですよ」と激賞していました。
その言葉通り、『図書館戦争』は興行収入17.2億円というヒット。その後野木亜紀子脚本で、映画は全3部作、テレビドラマ版もすべて制作されました。
2013年には同じく有川ひろの小説を実写化したドラマ『空飛ぶ広報室』で、自身としては初めてとなる連続ドラマの全脚本を担当。
以降飛ぶ鳥を落とす勢いで話題作を手がけるようになり2016年に『逃げるは恥だが役に立つ』、2018年『アンナチュラル』、2020年『MIU404』と、大ヒットドラマを次々に生み出しました。
直近では『アンナチュラル』『MIU404』でタッグを組んだ塚原あゆ子監督・野木亜紀子脚本で、それらの作品の世界線と交差する完全オリジナル映画『ラストマイル』が8月23日公開、10月からはTBS日曜劇場にて『海に眠るダイヤモンド』の放送が控えています。
オリジナルドラマの脚本もさることながら、野木亜紀子について特筆すべきは、有川ひろも称賛した「原作ものを解像度高く解釈して物語を編み直す構成力」でしょう。
特にアニメや漫画原作の実写化は、もともとの読者からは不評を買いがちな傾向にあります。原作ものの難しさについて、野木亜紀子はことあるごとに公言していました。
しかし、野木亜紀子は原作ものであっても深い読み込みと巧みな構成で、読者を納得させる実写化を次々と成し遂げてきました。
前述の『図書館戦争』はじめテレビドラマ『重版出来!』、映画では『俺物語!!』『アイアムアヒーロー』『罪の声』『犬王』など、数々の漫画や小説のアニメ化・実写化の脚本を手掛け、そのいずれも原作者や読者をも唸らせる作品となっています。
野木亜紀子の作品は、原作と読み比べながら脚本を追いかけると、「このシーンをここに持ってくるのね!」「なるほど、こういう解釈ができるのか」という驚きと発見に満ちています。
その最たる例が、“奇跡の映像化”と言われる『逃げるは恥だが役に立つ』でしょう。
同作はラブコメではありながら、恋愛ではなくお互いの利害が一致して一緒に生活する契約/偽装結婚というあり方を通して、この社会の価値観や制度を問い直す優れた物語でした。
原作者の海野つなみは、野木亜紀子の脚本に毎回感心していたそうです。
場面ごとに面白いポイントも切り替わっていくから、自分の作品のはずなのに「こうきたか〜」って思いながら読んでしまう。漫画にないエピソードもすごく自然にちゃんと面白い形で入れ込んでくるし、「あそこのシーンカットされたんだあ」って思っていたら後からうまいことつなげたりしてくる。ほんと職人芸だな、って。
『逃げるは恥だが役に立つ』のドラマは原作の連載を少しだけ追い抜く形で放送され、その後を追う形で原作も最終回を迎えることになります。
ドラマの最終回では、この社会でかけられている女性への2つの“呪い”を解く展開が描かれます。ひとつは女性が年を重ねることを歓迎しない呪い、もうひとつは女性が健全に生きようとする知恵をこざかしいと蔑む呪いです。
ひとつは、主人公の叔母で男性経験のないまま40代を迎えた土屋百合が、若さを売りにし中年を見下す女性に言う言葉。「あなたが価値がないと言って切り捨てたものは、あなたが向かっていく未来でもあるのよ」「私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」と。SNSで大きな話題となったシーンです。
もうひとつは、主人公・森山みくりが、より良い生活や仕事のための提案や交渉、異議申し立てをする自分の性質を「こざかしい」と自虐する呪いに対してです。みくりが「私のこざかしさは、どこにいっても嫌われるんだなって思ってたけど、こざかしいからできる仕事もあるのかもしれません」と口にした時、偽装結婚から本当のパートナーとなりつつある津崎平匡は言います。「こざかしいってなんですか? 言葉の意味はわかるんですが、こざかしいって、相手を下に見て言う言葉でしょ。僕は、みくりさんを下に見たことはないし、こざかしいなんて思ったこと一度もありません」と。みくりの胸にずっとつかえていた小さな棘を抜いて、呪いから解放したラストでした。
原作では、前者は最終巻に収録され、後者は最終巻手前の8巻に収録されていたシーンですが、ドラマではそれらをともに最終回に持ってきて、派手ではありませんがそれぞれの生き方を丁寧に肯定する見事なクライマックスになっています。
最終巻の後書きで海野つなみは、漫画もドラマに強く影響を受けたことを語っています。「メディア化というのは面白いもので、いろいろ相互作用がありました」「この9巻で描いた百合ちゃんのセリフと合わさって、ひとつの呪いの物語になったなあ、と。脚本の野木さん、やっぱりうまいなあと感心しました」と振り返っています。
野木亜紀子の構成力は、オリジナルドラマでも真価を発揮します。むしろテーマ性という意味では制限が少ない分、より色濃く反映されているのでしょう。
オリジナルでの初連続ドラマ『アンナチュラル』は、死体に残された様々なメッセージから死因を究明する法医解剖医たちを描いています。日々運び込まれる死体が語るそれぞれの物語が故人を浮かび上がらせ、背景にある社会の病理や課題をも抉り出していく構成は本当に圧巻です。
野木亜紀子作品は常に、他人や社会に勝手に貼られてしまったレッテル、メディアやSNSなどで瞬く間に広まっていく虚構をいかに拒絶するかという闘争を描いています。ストレートにそれを描いたのが『アンナチュラル』と同じ2018年にNHKで放送された『フェイクニュース あるいはどこか遠くの戦争の話』ですが、『アンナチュラル』もまた、見え方は違えど同じテーマです。
『アンナチュラル』は、登場人物のキャラ性が立ったエンタメでありながらも、“死体という無機物を通してしか、見通しがきかない混乱した社会で真実に辿り着くことはできない”とも解釈できる、非常に現実主義的なテーマを滲ませています。
なぜ野木亜紀子はこれほど虚構の拒絶にこだわるのでしょうか。それはおそらく、お茶の間へのインパクトが強く、リアルタイムな世相を反映させる風潮が強いテレビドラマという媒体でフィクションを描き続けていることへの責任感によるものではないかと思います。
例えば初期作の『空飛ぶ広報室』は、東日本大震災を舞台にした原作の最終章「あの日の松島」に向かっていく形で制作されていたことが明かされています。
航空自衛隊員とテレビマンがそれぞれどのように現場で事件と向き合ってきたか、その事件はどれほど人々を断絶し癒えない傷を負わせたかを最終回では真正面から描いています。
しかし、どれほど取材を重ねて真摯に描いたとしても、物語とは常にフィクション。実在する人物や社会問題、事件などを勝手に解釈して物語にしてしまうことへの考えも過去には述べていました。
いろんなフィクションで、実際の事件を元に書くことってありますよね。でも、被害者がまだ生きていたりするのに、元の事件を連想させる形のままで好き勝手に物語化していくというのは、どこまで許されるんだろうと。(中略)モデルとなった家族や被害者を直接連想させるようなものは、フィクションの名を借りて他人に踏み込みすぎているし、一種の暴力にもなりうるんじゃないかと思うんです。
こうしたそれぞれの特徴はありつつも、野木亜紀子の脚本が一貫して人々を引きつけるのには、彼女が常々公言している通り“普通の人のリアリティ”にこだわり続けている点にあります。
その目線の先には、華やかに見えるタレントも、誰もが目を離せない美男美女も、正義感あふれる刑事も、罪を犯してしまった犯罪者であっても、実は自分とそれほど大差のない、ただの人間なんだという考えの地平があります。人はボタンの掛け違えひとつで嘘を真実だと思い込むし、巡り合わせ次第ではどんな立派な人物でも社会を呪い人を殺す犯罪者になりえる。
カッコいいところもあるけどみっともない、汚いけど愛おしい──自分のすぐ隣に本当にいそうな人間が、彼女の物語の中には息づいています。
その価値観がもっとラディカルに表現されていたのが、2020年に放送されたオリジナルドラマ『MIU404』の8話「君の笑顔」というエピソードでした。
様々な社会課題に直面しながら前に進む警視庁機動捜査隊の刑事たちを描いた『MIU404』。やさぐれていた綾野剛演じる伊吹が刑事になるきっかけとなった小日向文世演じる恩師・蒲郡慈生は、刑事を引退して夫婦で老後を過ごしていました。しかし妻を亡くし独り身を案じた星野源演じる志摩は、蒲郡と一緒に暮らす計画を立てることに。
ですがその計画が実現することはありませんでした。なぜなら蒲郡は、刑事を引退して相手をしてくれなくなったことを逆恨みした前科者に妻を殺され、その復讐として犯人を殺害していたからです。恩師が人殺しをするはずがないと信じる志摩でしたが、蒲郡は、最愛の妻を殺した人間を「刑事だった自分を捨てても、俺は、許さない」という強い覚悟で凶行に及び、堂々と罪を認めて連行されることに。
志摩は、かつて言いました。「正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか」。そして蒲郡は、運悪く、取り返しがつかなくなった側の人でした。
野木亜紀子は、差別や偏見をなくして公正さを尊ぶ、いわゆるポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)に敏感な作家です。しかし、正しさでは救われずこぼれおちていく人間や、理屈でも感情でも抗えない不条理といったものからも、目を逸らしません。
それこそが野木亜紀子のリアリズムで、彼女の脚本から立ち上がる、ただ正しいだけではないこの現実を生きるためにもがく人物たちの姿は、視聴者の心をかき乱し、時に共感を呼ぶのでしょう。
野木亜紀子という人物は、フィクションを通して社会に影響したいという欲望をちゃんと持っている作家です。彼女の作品は、大衆と向き合うドラマという媒体による闘争でもあるのです。
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